「さ、帰ったのね。今日は給料日でしょ。さっさと給料分の写真送って。」
帰宅するなり、母がスマホを向けてきた。玄関で靴も脱がないうちに、給料明細を撮れと催促する。私の給料は、額面から何も引かれず、全額母の管理下に置かれている。振込口座は私の名義なのに、通帳もキャッシュカードも暗証番号も、母が握っていた。
「今月は20万ね。まあまあじゃない。それじゃあ5万渡すから。これで1ヶ月やりくりしなさいね。」
差し出された5万円。これが私の1ヶ月分の生活費だった。食費、交通費、通信費。すべてをこの中から捻出しなければならない。残りは全部、母が“管理”する。つまり、自分のものにする。
「お母さん、その家にお金入れるけど、今月は10万じゃだめ?友達の結婚式があるの。お祝いの準備とかでお金が必要で…」
言いかけた瞬間、母の目つきが変わった。
「なんですって?あんた、みさは入院して今も苦しんでるのに、自分だけそんな楽しいことしようとしてるの?結婚式も参加できないのよ。そんなこともわからないなんて、ふざけんじゃないわよ。人でなしね。あなたは健康なんだから、お金くらい家に入れて当然なのに。全く、見た目もブスなら中身もブスね。妹の入院費もかかるんだから、あんたも協力しなさいよ。」
ごめん。分かった。――それしか言えなかった。反論すれば、また妹の入院費を盾に責められる。母の中で私は、妹のドナーであり、金銭を搾取するための存在でしかなかった。
「全く、ここまで言われないとわからないなんて、頭悪いわね。ああ、それと通帳も明日持ってきなさい。貴重しとかないと。」
分かりました。――通帳まで奪われる。これで私は、一円も自由にできない。
「いい?あんたの給料は全部私が管理してるんだから、変なことに使わないでよ。いい大人なんだから、5万でやりくりしなさい。」
はい。――返事が遅れると、また疑われる。「何か隠してるの?」と。隠すものなんて何もない。5万円から何を隠せというのか。
数日後。親友の愛とランチをしていた。
「最近どう?元気?」
「うん、元気だよ。」
「私、元気?って聞いてるの。いやさ、あんまりこんなこと聞くのもなって思うんだけど、その後どうなったかなって。家族とだよ。あんた言ってたじゃん、給料の振込口座を親に握られてるって。桜名義だけど、暗証番号とかそういうのはお母さんが設定してて使えないんでしょ?」
「うん。今月も15万取られた。」
愛の顔が曇った。わかっていた。この話を聞けば、愛は必ずこう言う。
「やっぱり。あんた、いつまでそんな生活続けるの?」
「妹の移植が終わったら、家を出るつもりだから。」
「いやいや、あんたそれ何回目よ。前も同じこと言ってたわよね。」
「今度こそ本当よ。移植さえ終われば、本当に…」
「大体、家出るって言うけど、あんた貯金できてるの?」
「貯金は…月5万じゃ難しくて。私、やりくり下手だからさ。」
「やりくり以前の問題だって。そりゃ実家にいて月20万全部使うなら問題だけど、月5万じゃ貯金なんてできないわよ。」
「そうなの?」
「そうだよ。食費、交通費、通信費で終わりじゃん。私なら絶対無理。月5万でやりくりとか。」
そうなのかもしれない。でも、私は母にそう言われ続けてきた。自分が悪いんだと。やりくりが下手な私が悪いんだと。でも、愛の言葉が、じわじわと心に刺さる。
「あんたの母親、あんたを金づるにしてるだけじゃない。」
「でも、私がドナーを拒否したら、妹は死んでしまうから。」
「本当にそう思ってるの?他にドナーいないの?」
「私しかいないって。あんたが唯一のドナーだって、母さんが言ってた。」
「母さんが言ってたね。……本当かどうか、確認したの?」
その言葉に、私は何も答えられなかった。確認したことがなかった。母が言うから、そうなんだと思い込んでいた。
「そうならいいわ。でもさ、いい加減目を覚ましなさいよ。」
「ごめん。あいかけて。」
「心配してるに決まってるじゃない。親友でしょ。」
「ありがとう。大丈夫。私だって言いなりは嫌だもの。」
その日、私は勇気を振り絞って、母に尋ねた。
「お母さん、今日みさのお見舞い行く?」
「え?なんで?行く必要なんてないでしょ。」
「必要ないって…お見舞いくらい行くものじゃない。家族なんだし。」
「行くんじゃないわよ。なんでそんなことするの?え?ブスが見舞って。娘の具合が悪くなる。そんなこともわからないなんて、本当にあなたはダメね。」
「そんな言い方しなくても…」
「うちの娘は妹だけ。ブスのお前は娘じゃない。だから見舞にも行くな。いいわね。さっさと返事しなさいよ。分かったの?」
――分かりました。それしか言えなかった。頭の中が真っ白になった。私は娘じゃない?ブス?その言葉が、何度も何度も反響する。
その夜、私は病院に行った。こっそりと。母に内緒で。妹の病室の扉を開けると、妹がいた。
「あ、来たの。どうせ私に用なんてないんでしょ。何しに来たの?」
「みさ…元気?」
「元気に見える?バカみたい。私、あなたのこと大っ嫌いなんだよ。」
「え…どうして…」
「どうしても何も、あなたのおかげで私はこんなに苦しい思いしてるのよ。あなたが私の病気を治してくれればいいのに。ドナー拒否したら、私死んじゃうかもしれないんだよ?」
「私、拒否しないよ。ちゃんとドナーやるから…」
「やるって当たり前でしょ。あなたが私にできることなんて、それしかないんだから。あなたに生きる価値なんてないんだよ。私は愛されてるから価値があるけど、あなたは臓器提供することしか価値がないの。」
「みさ…」
「出てって。私の前から消えて。あなたなんか、お母さんの金になるか、臓器を提供するかしか能がないんだから。」
――あい。限界かもしれない。私はどうしたらいいんだろう。
「ちょっと、どうしたの?何があった?」
携帯の向こうの愛が、慌てた声を出す。
「妹に……生きる価値がないって言われた。」
「は?何それ…」
「自分は愛されてるから価値があるけど、私は臓器提供することしか価値がないって。それ、病室で言われたの。」
「…え?実は調べたんだけど。」
「調べたって…何を?」
私は震える手で、スマホに表示された検索結果を愛に見せた。そこには、私が唯一のドナーではないという事実が並んでいた。――姉の臓器提供を拒否してでも、妹を救う方法はほかにあったのかもしれない。母の嘘が、少しずつ明らかになっていく。
「お前は一体、何を調べたんだ?」
私の声は震えていた。愛が黙って見せた画面には、もう一つの選択肢が映っていた。そして、私はその夜、とんでもない決断をすることになる。



