「お兄さん、突然何の冗談ですか?」
義理の妹さとみが、困惑した顔で俺を見た。俺は覚悟を決めて、携帯を置いた。
「本気だ。考えてもみろよ。運動嫌いのエリカが突然ウォーキングを始めたんだ。しかも毎晩23時頃に出ていく」
「健康のためじゃないんですか?」
「健康のためなら、あんな時間に化粧濃くして出ていくか? それも半年も前から」
さとみの表情が曇る。彼女も思い当たる節があるようだった。
「実は……浩もランニングと言って、同じ時間帯に外に出るようになったんです。半年くらい前から」
「俺たちと同じ頃だな」
「お兄さんはどうして気づいたんですか?」
「最初は運動はいいことだと思って応援してた。でも、ウォーキングにしては化粧が濃すぎる。それで胸騒ぎがして、3日前に後を付けたんだ。そしたら浩と会ってた」
さとみは唇を噛んだ。
「うちの家とお兄さんたちの家の中間地点に公園があるでしょう。あそこで2人が会ってたんだよ。待ち合わせ場所は決まってあそこだ」
「ホテルとかじゃないなら、相談事があったとか……」
「信じたい気持ちは分かる。でもな、2人で多目的トイレに入るのはおかしいだろ? 20分も出てこなかったんだぞ」
さとみは黙り込んだ。私たち夫婦は仲が良かった。さとみと浩も、それなりにうまくやっているように見えた。だからこそ、この事実は重かった。
「俺も一応スマホで動画は撮ったんだけど、暗くて顔がはっきり映ってなかったんだ。弁護士の友人に相談したら、これじゃ言い逃れされるかもしれないって言われた」
「はっきりと顔が映った証拠が必要ってことですか?」
「そうなんだ。だから俺は直近で出張を入れることにした。さとみちゃんも何か理由をつけて家を空けられないか?」
「私たちが同時にいなくなれば、相手が動き出すってことですね」
「その日に探偵を付けようと思ってる」
さとみは少し考えて、うなずいた。
「ちょうど良かったんです。母の体調が良くなくて、近々実家に帰ろうと思ってたところだったんです」
「出張は来週の火曜日だ。その日でいいか?」
「はい。浩にもそれとなく伝えておきます」
翌日、さとみは浩に実家へ帰ることを伝えた。母の体調が悪化したと言うと、浩は快く送り出してくれた。
「何日間かゆっくりしてきなよ」
「いい旦那さんでよかっただろ?」
さとみは笑顔でうなずいた。その裏で、俺とさとみは計画を進めていた。
出張当日、俺はさとみに連絡を入れた。
「エリカはさとみちゃんがいなくなって、羽を伸ばすはずだ。浩の家か、うちか、どこかで堂々と会うだろう」
「カメラを用意した。見つかりにくい場所に設置してもらえないか?」
「そこまでするんですか?」
「家に入っただけだと、挨拶に寄っただけと言い逃れされるかもしれない。でもカメラがあれば、決定的な証拠になる」
さとみは少し迷ったが、覚悟を決めた。
「分かりました。私も真実を知りたいです」
「リビングと寝室に1つずつ頼む」
数日後、さとみは予定より早く帰ってきた。母の体調が良くなったからだと言う。
「主婦がいつまでも家を空けるのはダメだって言われちゃって」
「エリカが出ていくために時間を稼いだんだろうな」
さとみは顔を曇らせた。
「私、無理です。あの2人が使ったベッドで寝られません」
「実家に戻るなら送るよ」
「いえ、心配かけたくないのでホテルに泊まります」
「お金は俺が出すから」
さとみは首を振った。
「明日、カメラを回収したら連絡しますね」
翌日、俺はエリカと対峙した。
「俺の弟と浮気するなんて、大した根性してるな」
「はあ? 何言ってんの?」
「浩とはしょっちゅう会ってるだろう」
「身内だからたまに会うこともあるわよ」
「俺やさとみちゃん抜きで会うのはおかしいだろ。なんで浩の家に行ったんだ?」
エリカの顔色が変わる。
「どうしてそんなことまで知ってるの?」
「いいから理由を言え」
「さとみちゃんが実家に帰ってるでしょ。あなたも出張だったし。料理や掃除とか助けになればと思っただけよ」
「優しい義理の姉だな。浩も喜んでただろう」
「あなたの弟だから優しくしてるだけ。変な勘違いしないでほしいな」
「夫婦の寝室で一緒に寝てただろう? 寝てただけじゃないみたいだけどな」
エリカの顔が引きつる。
「ちょっと待って。なんなの、さっきからまるで見てたみたいな言い方ばかりして」
「見たんだよ。仕掛けておいたカメラをな」
エリカの顔色が青ざめる。
「は? 盗撮? 最低すぎるんだけど。本当に気持ち悪い女」
「どの立場でキレてんだよ。仕方ないじゃない。浩が誘ってきたんだから」
「お前は誘われたら誰にでもホイホイ付いていくのか」
「身内だし、今後も会うのよ。空気が悪くならないように気を使ったの」
「そんな気を使う前に俺に相談しろよ。分かった。私が間違ってました。ごめんなさい。これでいいでしょ?」
「いいわけないだろ。ウォーキングも浩に会うためだな」
「あの子が我慢できないって言うから、仕方なくよ」
「トイレに20分以上こもって、何を話すことがあるんだ?」
「え、そんなところまで見てたの?」
「夜中に化粧してウォーキングなんておかしいからだ」
エリカは冷笑した。
「ちょっと引くわ。そこまで束縛がひどい人だとは思わなかった」
「これで怒らない旦那がいると思うか?」
「別にいいじゃない。今までだって兄弟でいろんなものをシェアしてきたでしょ。今回もそれと同じだと思えばいいのよ」
「ふざけんなよ。さとみちゃんの気持ちはどうなるんだ?」
「あんな女、知ったこっちゃないわよ。男が浮気する時は、大抵原因があるの」
「何を開き直ってんだよ。ちゃんとさとみちゃんに謝罪しろ。そして責任を取れ」
「浩のことを言ってるの? それならダブル不倫だから、お互い様でしょ。プラマイゼロなんだから、払う必要なくない?」
「今後も夫婦でいられると思ってんのか?」
「はは、やっぱり無理だよね。分かった。じゃあ離婚で」
「なんだその態度は?」
「あなたが許してくれそうにないから、自分から引き下がったんでしょ? 反省してないだろ」
「悪いとは思ってるわよ」
「もういい。吐きそうだ」
その数時間後、さとみにも動きがあった。浩に直接問い詰めたのだ。
「お姉さんと浮気してたのね」
「いきなり何言ってんだよ。里帰り疲れでおかしくなったか?」
「お姉さんは認めたわ。連絡来てるんじゃないの?」
「いや、別に」
「早く認めたら?」
「何を根拠にそんなこと言ってるのか、意味が分からない」
さとみは送ったメールを指さした。
「そういうと思って、メールで送ってるわ。大量の画像や動画データだから、LINEじゃ送れないの」
浩はスマホを確認し、しばらく沈黙した。
「これAIだろう? 最近のAIはマジですごいなあ。本当に俺とお姉さんが怪しい関係に見えるわ」
「まだ認めないつもり?」
「そっちこそ捏造したこと認めてよ。こんなことして誰が喜ぶ? やるわけないじゃないか」
「じゃあ裁判ね。プロにこれが捏造かどうか判定してもらいましょう」
「ちょっと待ってよ。身内同士で揉めるとか良くないだろう」
「その原因を作ったのは自分たちでしょ。とにかく落ち着いて、一度帰ってこいよ」
「私のベッドであんなことしておいて、そこで寝ろって言うの? すごい神経してんのね」
「映像はそういうことをしてるように見えるけど、これ本当に俺らか? 記憶にないんだけどな」
「ひどい。お姉さんは認めたのに、あなたは最後まで嘘をつくのね」
浩は開き直った。翌日、さとみの前でこう宣言した。
「兄嫁を妊娠させたから、責任を取って再婚するわ」
「は? 子供まで作ってたの? 信じられない」
「天から授かっただけだよ。私がどんな思いで不妊治療を頑張ったと思ってるの?」
「辛かったのはお前だけじゃないだろう」
「そういうところがうんざりなんだよ。注射や排卵の痛みに耐えたのは私よ」
「もうそんな思いもせずに済むじゃん。お前と兄貴には悪いけど、ダブル離婚でよろしく」
さとみは怒りを込めて言った。
「昨日とはテンションと態度が随分違うのね。開き直りすぎじゃない?」
「だって事実だもん。今更隠してもしょうがないし」
「なるほどね。妊娠したお姉さんと一緒に新しい家庭を築こうってこと」
「まあそうなるかな」
「そんな簡単な話じゃないでしょ。お兄さんはどうなるのよ。奥さんだけじゃなく、実の弟にまで裏切られたのよ」
「俺からすれば、ざまあみろって感じだけどな」
「なんてことを言うの?」
「昔から出来が良くて比べられてばかりだった。やっと兄貴に勝てたって感じがするんだよな。人生で一番大事なものを奪えたんだぜ」
「あなたの最高が、誰かの最低になるのよ」
「世界ってそういうもんだろう。持つものと持たざるものがいるんだよ」
さとみは静かに言った。
「気持ちはよく分かった。なら、良かったよ。私も相当キレてるけど、お兄さんが苦しんでる姿を見てきたから、怒りは2倍なの」
「だから何?」
「あんたら、地獄を見るよ」
「ああ、そんな言葉で俺がビビると思ってる?」
「それはまだ分からないでしょ。だって何もしてないんだから。普段おっとりしてる私が怒っても、ちわわが吠えてるのと同じレベルだと思ってる? 小型犬の逆襲を楽しみにしてて」
そして俺たちは動き始めた。エリカたちが式場の下見に行くという情報を、浩のスマホから手に入れた。
「あいつ、LINEのアプリにロックをかけてないんだよ。寝た後にこっそり見て証拠を取った」
「お腹が大きくなる前に式を上げる予定らしい」
「その式場、偶然俺の友人が経営してるんだよ。そこで下見に来たあいつらに、とあるサプライズをお見舞いしてやりたい」
「何をするんですか?」
「2人に関係する人物を全部呼び出すんだ。同級生、ご近所さん、親族。あいつらを疑ってる人たちに、本当の姿を見てもらう」
さとみは目を輝かせた。
「すごい。あの人が全てを失う瞬間が見れるんですね」
「浩も無傷じゃ済まされない。あいつは昔から母さんにべったりで、親戚連中にも可愛がられてきた。特に従姉の行くみ姉さんとは仲良くて、今でも2人で飲みに行く仲だ」
「私も行くみさんは大好きです。あの人なら、きっとぶち切れますね」
1週間後、式場の下見に来たエリカと浩の前に、呼び出された全員が立ちはだかった。
「あんた、マジで性格腐ってんね」
「お前に言われたくないな」
「なんで畑の下見の日だって知ってたのよ」
「LINEを見た」
「って、式場が許可したのはどうして?」
「たまたま俺の知り合いの会社だった」
「親族やご近所さんまで呼ぶ必要あった?」
「あっただろ。おかげでお前の本性を皆さんに知っていただくことができたからな」
エリカは歯を食いしばった。
「さらし物にして、楽しかったでしょうね」
「ああ、楽しかったよ。お前らの絶望に満ちた顔と、全てを失った瞬間を見届けることができた。これで俺もさとみちゃんも、前を向いて歩いていける」
「あんた、さとみとできてるんでしょ? とことんゲスだな」
「お前らと同じだと思われたことが屈辱だよ。同じ被害者の2人が慰め合ってるうちに恋に落ちるなんて、少女漫画のお決まりでしょ」
「残念ながら、お前らみたいなクズが登場する以上、漫画としては成立しないぞ。どちらかといえば成人向けのコミックだな」
「笑い事じゃないのよ」
「俺としては今日で全てが終わって、晴れ晴れとした気分だ。パーッと飲みに行きたいくらいだよ」
エリカはさらに食い下がった。
「あんたがうちの両親まで呼ぶから、里帰り出産すらできなくなったじゃない」
「知るか」
「あと、あれ何なの? 綿棒で口の中をぐるぐるやるやつ」
「これやったら帰っていいって言うから、2人でやったけど、DNA鑑定だよ。俺の子だと証明して、認知と親権放棄の手続きをするんだ。戸籍上は一応俺の子になってしまうからな」
「養育費払わないの?」
「なんで俺が払うんだよ。笑わせんな」
さとみが付け加えた。
「まあ、そうだよね。あとは弁護士と話してくれ。じゃあな」
エリカは叫んだ。
「ちょっと待ちなさいよ。気になるじゃない? 教えて」
数日後、浩からさとみに電話があった。
「お前、何してくれてんだよ」
「こっちのセリフなんだけど」
「親族、友達、会社の人まで式場に集めるなんて正気か?」
「義姉と浮気して子供作るのは正気なんですか? しかもエリカさんの友達もご近所さんも、みんな来てたわよ」
「何人いたんだよ?」
「50人くらい。お祝いするには少なかったかしら?」
「俺らは普通に式の下見に行っただけなんだぞ」
「まだ離婚も成立してないのに、随分時が早いのね」
「お腹が大きくなる前に早く式を上げたいんだよ」
「その式に、誰が来てくれると思うの? まず今日来てくれた人たちは全員怒ってたし、ドン引きしてたから来ないわね。あの人たちがきっと話を広めてくれるはずだから、その他の人たちも来ないね。一体誰に祝福してもらうつもりなのかな」
「じゃあ海外で2人で式を上げる」
「それは構わないけど、慰謝料請求地獄に陥るあなたとエリカさんに、その余裕があるの?」
「は?」
「あなたには200万円請求するわ。貯金もないから、借金するはめになるわね」
「はあ? 俺には新しい生活があるんだぞ」
「私も生きていかないといけないの。お兄さんたちはエリカさんの浪費で余金はほぼゼロ。あちらも慰謝料でマイナスよ。残金マイナスの2人が、海外式が上げられると思う?」
浩は焦り始めた。
「今後俺が働いて稼げば問題ない。慰謝料を払ってでも、俺らは一緒になることを選ぶ」
「それは勝手だけど、決して楽な結婚生活じゃないわね」
「どうしてそう言い切れるんだよ」
「浪費家のエリカさんと、お金の管理を私に任せっきりにしてきたあなた。どうなるか、火を見るよりも明らかだけど」
「どういう意味だ? ちゃんと説明しろ」
「まずエリカさんは、全く料理ができないの。ほぼ外食か、ウーバーか、デパ地下だったわ」
「え? お兄さんが料理を担当してたの?」
「お兄さんが料理してたのよ。エリカさんはデパ地下のおかずを鍋にぶち込んだだけ。お兄さんはそれを知った上で結婚したのよ。あなたにその覚悟があるの?」
「うそだろ……エリカさんは本当に何もできないのか?」
「洗濯機のボタンを押すことしかできないらしいわ。お兄さんは、それでも明るくて前向きなエリカさんが好きだったんだって」
浩は黙り込んだ。
「子供が生まれてみなさいよ。ミルク作れ、離乳食作れって命令されるようになるわ。お米ひとつ炊かないあなたにできるかしら?」
「……できないな」
「あなたはエリカさんの何が好きだったの?」
「なんか、引っ張ってってくれるところとか、頼りがいがあるところとか……」
「見間違えてたみたいね。エリカさんはお兄さんに引っ張ってもらって、頼りまくって生きてきただけの人。それを自分の力だと勘違いして、あなたにいい格好をしてみせただけなのよ」
「マジかよ……」
「でも、祝福するわ。幸せになってね」
さとみはそう言って電話を切ろうとしたが、浩が引き留めた。
「待って。それ、どういう意味だよ?」
「責任取って再婚するわって偉そうに言ったのは、誰だっけ? あれは実際に子供はできてるわけだし、責任は取るべきでしょ」
「本当に俺の子かな?」
「今更何言ってんの?」
「だってお前とも何年も子作りしててできなかったし、他の女性ならできるって話が、うまくいきすぎてるかなって……」
「DNA鑑定の結果を楽しみに待ちなさいよ。もし俺の子じゃなかったら、よりを戻してくれる?」
「ふざけないで。私は2人分の怒りを抱えてるの」
「誰だよ」
「お兄さんに決まってるでしょ」
「なんでそこまで兄貴に入れ込むんだ? あ、もしかしてお前らもそういう関係なんじゃねえの?」
「あなたたちクズと一緒にしないで。お兄さんは私にすごく気遣いしながら、真相を究明しようと励ましてくれたわ」
「ほら、それが下心あるって言ってんだよ」
「人の浮気を疑う前に、自分の始末を付けなさいよ。あなたは親や親戚からも絶縁宣言されたし、行くみ姉ちゃんからもブロックされたんだから」
「でしょうね。友達や会社の人も、ゴミを見るような目で言葉もかけてくれなかったし」
「良かったじゃない。ゴミだって、使い方によっては肥料にもなるわ」
さとみは言い放った。
「あなたが浮気してると知って、ショックだった。何のために辛い不妊治療に耐えてきたか分かってる?」
「子供が欲しかったからだろう」
「違う。あなたと一緒に温かい家庭が作りたかったのよ」
「だから悪いと思ってるって」
「苦しくて辛くて、人間不信になりながらも戦ってきてよかったと思えたのは、あなたとエリカさんの絶望的な顔を見れたからよ」
翌日、浩はさとみに電話をかけた。声は沈んでいた。
「お前とよりを戻したら、回復できないかな?」
「できないし、協力する義務もないわ。さようなら」
「待って」
「何?」
「なんかさ、何もかも失ってまでエリカさんと一緒になりたいかって言うと、微妙だなって」
「は?」
「俺の冗談なんだけど、多分俺の子じゃない気がするんだ。旦那の弟に手を出すような人だぜ。多分他の男とも遊んでたと思うんだよな」
「じゃあ本人に言えば」
「やだよ、怖い」
「今更何なの? 俺と一緒に家族作りたいんだよね。さっきそう言ってたじゃん」
「それは過去よ。今は、別れても無理。さとみさえ許せば、親も親戚も許すと思うんだよね」
「じゃあ一生許さない」
「待ってよ。行くみ姉ちゃんだけでも仲直りしたいんだ」
「行くみさん、言ってたわよ。身内に手を出すキモい甥っ子を可愛がってた自分が許せないって」
「そんな……」
「お正月もお盆も、あなたは里帰りすらできない。お祝い事もお悔やみ事も、参加は許されない。親の葬式もね」
「当然よ。そこにはお兄さんがいるんだから」
浩は絶望した声で言った。
「そう考えたら、ちょっとマジで嫌になってきた。土下座するし、何でもするから許してほしい。マジでもう2度としない」
「本当に懺悔するなら勝手にすれば。あなたが悪人でもゴミでも、私には関係ないんで」
「そんなこと言わないで。やっぱりさとみが好きだ」
「気持ち悪いから、2度と話しかけないで」
それから数日後、俺とさとみは会って話した。
「お疲れ様。やっと終わったね」
「はい。お疲れ様でした」
「しかし、父の怒りっぷりはすごかったね」
「お父さんがあんなに怒ってるの、初めて見ました。行くみ姉さんも怒ってたし」
「可愛がってた甥っ子だからこそ、悔しかったんでしょうね」
「確かに腹が立ったし、今も恨んでますけど……楽しかったのと好きだったのは事実なんで、そこを否定したくないんです。じゃないと、数年間の自分を否定するのと同じだから」
「うん。そうだね。好きだった人を嫌いになった。それでいっか」
「はい」
「さとみちゃん、どうか幸せになってほしい」
「お兄さんも。あ、いや、けいさんも」
俺は少し驚いた顔をして、笑った。
「ありがとう」
「さ、これから頑張りますか」
それから半年後。噂通りダブル離婚は成立し、浩とエリカは再婚した。しかし、そこにあったのは真実の愛ではなく、地獄の押し付け合いだった。
料理も洗濯も一切できないエリカに、浩は早々に愛想を尽かした。しかし、親族から絶縁され、会社でも「兄嫁を寝取った男」として居場所を失ったせいで、逃げ場はなかった。さらに追い打ちをかけたのはDNA鑑定の結果。お腹の子は紛れもなく浩の子供だった。責任から逃れることもできず、俺とさとみへの慰謝料400万円の支払いに追われる毎日。2人とも実家や親戚から見放されており、一切頼ることもできない。
慣れない育児と極貧生活で、かつての威勢は見る影もない。
俺は転勤して九州で暮らしている。たまにさとみと連絡を取るが、「再婚はまだまだ先だね」と笑っていた。さとみも傷が癒えるには、もう少し時間がかかりそうだと言う。でも、人生も幸せも子供も諦めていない。
「いつかあいつらと道ですれ違った時、眩しいくらいの笑顔でいられたらと思っています」
そう言ったさとみの声は、確かに前を向いていた。



