式が終わった翌日、晴菜は探偵の元を訪れていた。付き合いの長い親友に頼み込む形だ。
「あい、結婚式が終わってすぐにこんなお願いするのも気が引けるんだけど、夫の調査をお願いしたくて」
「はあ。調査したばっかりだよね。何があったの?」
「実は昨日の結婚式で、周辺の様子がおかしかったの」
「おかしいって、どんな感じ?」
「式の最中もスマホばっかり気にしてたし、披露宴も上の空だった。私と目を合わせようともしなかったの」
そう言われてみれば、確かに彼の様子はどこか変だった。写真撮影のときも、挨拶のときも、隣にいるはずの晴菜の方を一度も見ようとしなかった。
「怪しいけど、それだけ?」
「それだけじゃないの。式のあと、平が『新婚旅行はちょっと待ってくれ』って言い出したの」
「は? 新婚旅行を延期するってこと?」
「そう。仕事が忙しいって言ってたけど、それ絶対おかしいよ。新婚旅行なんて、最初から休みを取ってるはずじゃん。だから『それなら新婚旅行はどうするの』って聞いたら、『お前うるさいな。そんなのいつでもいいだろ』って」
結局、その翌日には、「旅行は行かない」と一方的に言い放ったらしい。それからというもの、平の態度は急に冷たくなり、今日も帰ってこない。
「それで怖くなって。なんか性格が変わったっていうか、すごく冷たいの。もしかして浮気してるんじゃないかって」
交際中は何もなかった。思い当たるふしもなかった。ただ一つ、気になることがあるとすれば、平が結婚式に実家の人間を一切呼ばなかったことだ。
「実家と仲が悪いから、式に呼ばないでくれって言われてたの。家庭環境が複雑みたいで」
「ますます怪しいじゃん。言えない理由とかあるのかな」
「やっぱり、こんなことで調査なんてお願いするの、ダメよね」
「そんなことないよ。むしろ違和感は早いうちに潰そう。我慢して家族続けるのが幸せじゃないことくらい、あんたがよく知ってるでしょ」
晴菜はうつむいた。確かに、親の不仲を子供の頃から見て育った。我慢が美徳なんかじゃないことを、身に染みて知っている。
「私、結婚に向いてないのかな」
「向いてるとかそういう話じゃないよ。少なくとも、そう思わせちゃう旦那も旦那だし。すぐ調べてみるから、ちょっと待ってて」
「ありがとう」
「あんたとは施設時代からの付き合いじゃん。これくらい、お安い御用よ。まずは旦那の行動を監視するね。何か動きがあったらすぐ連絡する」
翌日、晴菜のスマホに平から連絡があった。
「なあ、はるな。ちょっと話があるんだけど」
「何?」
「実は俺には、本命の彼女がいるんだ」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「え? ちょっと何言ってるの?」
「まあ、話は最後まで聞けって」
平は何の悪びれもなく、さらりと言ってのけた。
「まず安心しろよ。お前と結婚したんだから、お前が正妻だ。法的にも社会的にも、お前の方が立場は上だ。だから文句を言うなよ。これから先の生活で、お前は優遇されるんだから」
「どういうこと? 本命彼女がいるのに私と結婚したの?」
「そうだよ。でも、お前は正妻だから法的に守られてる。だから問題ないだろう」
「問題ないって、大問題なんだけど。浮気を認めろってこと?」
「浮気っていうか、法律上はお前と結婚してる。心は彼女と結婚してるって感じだな」
「意味が分からないんだけど」
「そのままの意味だって。あ、お前も別に外に男作ってもいいぞ。その方がフェアだし」
信じられなかった。晴菜は目の前が真っ白になるのを感じた。
「何なの? 結婚式で上の空だったのは、パフォーマンスか何かだと思ってたの?」
「そうそう。ただの形だよ。それでさ、俺に本命の彼女がいることは分かったろ。だから旅行は彼女と行く」
「はあ。ふざけてるの?」
「うるせえな。いいから新婚旅行の費用を振り込め。二人で行ってくるから」
晴菜は言葉を失った。呆れて、笑いも出ない。
「結婚式でいい思いしたんだから、いいだろう。それくらい譲れよ」
「譲れって、何を?」
「お前は行かなくていいよ。こう見えても、お前は優遇されてるんだぞ」
「これのどこが優遇されてるのよ」
「まあまあ、法的に新婚なのは俺とお前だろ。だから新婚旅行の費用はお前が払うべきだ。俺は彼女と行くけどな」
「それっておかしくない? 私、行かないのにお金は払えって」
「何がおかしいんだよ。お前は正妻って立場をもらってるんだぞ。これくらい我慢しろよ」
「正妻だからって、何?」
「てか、お前、金は実家が出してくれるんだろう。俺は立替えでいいから。お前の名義で予約したんだから、お前が払うしかないだろ。俺はカード預けてないし、俺が払うのは無理だ。だからお前が我慢しろ」
「どうして私がこんなこと我慢しなきゃいけないの? 正妻だからって、何なのよ」
「ああ、そんなことも分かんねえのか」
平は自分の話だと言わんばかりに、鼻で笑った。
「分かるわけないでしょ」
「ああ、そうか。お前は苦労してねえもんな」
「何の話よ」
「あのな、俺はな、愛人の子だったんだ」
晴菜は息をのんだ。
「愛人の子?」
「そうだよ。俺の父親には本妻がいて、そっちに子供もいた。でも、父親は俺の母親とも付き合ってて、俺が生まれたんだ。俺も親父の子供なのに、父親の遺産の大半は本妻の子供たちに行ってさ。俺と母親には、生活費程度しか残されなかった。本妻の子供たちは豪邸に住み続けて、俺たちは追い出された。虐げられてばかりだった。そんな中で、俺はずっと苦労してきたんだ」
「でも、それはあなたの家の中の話じゃない」
「それだけじゃないんだ。親戚の集まりにも呼ばれなかった。『愛人の子』って後ろ指を刺されたし、学校でもからかわれた。『お前の父親、浮気してたんだろ』ってな。だから俺は知ってるんだ。本妻の立場は強いけど、愛人の立場は弱いってな」
平はぐっと晴菜を睨んだ。
「お前も同じだろ。だから、これくらい我慢しろよ」
「だから、それはあなたの意見でしょ」
「そうだけど、お前はちゃんとした家庭で育ったんだろ? 俺みたいに苦労してないんだから、我慢できるはずだ。それに、結婚したおかげで、お前は一応正妻の立場も実家も手に入れたんだ。お前、感謝してないの?」
「感謝?」
「そうだよ。普通に考えろよ。お前、三十手前だろ。周りから『早く結婚しないと』って言われてたんだろ。俺が結婚してやったんだから、感謝しろよ」
晴菜は言葉を失った。感謝? 何の話だ。
「だから、新婚旅行は譲れ。そういうことだ」
「そう。分かった。じゃあ、行ってらっしゃい」
「悪いな」
そう言って、平は電話を切った。晴菜はしばらくその場に立ち尽くしていたが、震える手で親友のあいに連絡をした。
一時間後、あいが部屋に駆けつけてきた。
「平から連絡が来た。『本命の彼女がいる。新婚旅行の費用を振り込め』って言ってるの」
「は? ちょっと待ってよ。浮気した挙げ句に、旅行はそいつと行くって?」
「うん。マジで言ってるの、あいつ」
「本当に許せないわね」
「私、どうすればいいの? あいつのこと、許せない」
「大丈夫。落ち着いて。旦那が何て言ってたか、全部教えて」
晴菜は全てを話した。平が愛人の子供だったこと、本妻の子供たちに虐げられてきたこと、だから自分と同じように愛人よりも本妻の立場が上だと主張していること。
「最低だね。そいつ、正妻だから我慢しろって? ふざけんなって感じよね。でも、大丈夫。あんたは何にも悪くない。悪いのは旦那だから」
「あい、私、どうすればいいの?」
「まずは落ち着くのよ。旦那の調査って言ってたけど、浮気相手のことも調べるね。その方が有利になるから」
「ありがとう。名前とか、旦那から聞いてない?」
「聞いてない。『彼女』としか言わなかった」
「分かった。こっちで調べる。旦那の行動を監視してるから、浮気相手と会うところを押さえられると思うわ」
「ありがとう。でも、あい。私、あんたに絶対言っちゃダメって言われたら、旦那に何も言わないようにする」
「そうして。泳がせておくのよ。ここで『浮気が分かってる』って言うと、ややこしくなるから」
「うん。分かった。今のところ『お金を振り込む』としか言ってないから、気をつける」
「とにかく、そんなクズと一緒にいる時間がもったいない。すぐに動けるように準備するのよ」
数日後、あいから連絡があった。
「晴菜。浮気相手の連絡先、ゲットしたよ」
「本当? 誰?」
「高瀬修平の妻、野は春奈よ」
「は? あい、それってどういうこと?」
「あなたと修平が付き合ってること、知ってるわよ」
晴菜は息をのんだ。修平は、数年前に別れた元彼だ。今は別の女性と結婚しているはずだった。
「でも、私にそんなことできるかな…」
「できるわよ。あなたはもう、彼に利用されてるんだから。だったら、こっちも戦い方を考えたほうがいい」
あいの声には、強い決意が込められていた。
