「お兄さん、突然なんの冗談ですか?」——深夜11時、夫が出て行ったあとのリビングで、私は浩司さんから信じたくない話を聞かされていた。半年前から、義姉のエリカが深夜にウォーキングと称して家を出るようになった。運動嫌いだったはずの彼女が、なぜ真夜中に濃い化粧をして出かけるのか。そして三日前、浩司さんはついに尾行した。二人は公園で落ち合い、多目的トイレに二十分もこもった。「三日連続で、具合が悪くな…
「お兄さん、突然なんの冗談ですか?」 「本気だ。行動がおかしいんだよ」 そう切り出したのは、夫の健一の兄・浩司だった。彼の妻であるエリカが、最近あまりにも怪しいという。運動が大嫌いだったはずのエリカが、突然ウォーキングを始めたのだ。 「健康のためじゃないんですか?」 「そう思いたいけど、23時頃に出ていくんだぞ。さすがにおかしいだろ」 「確かに、それは遅いですね。女性の一人歩きは危ないって言ったんですけどね。深夜の方が静かだからって聞かなくて」 「それ、いつからですか?」 「半年くらい前だよ」 健一が言葉を継いだ。自分もランニングだと言って、同じ時間帯に外に出るようになったのは、ちょうどその頃からだという。 「こっちは男だから、大して気にしてなかったんですが」 「何時頃帰ってきてる?」 「日付が変わる少し前くらいです」 「エリカも同じくらいだ」 浩司は最初、運動を応援していた。だが、どうにも引っかかることがあった。ウォーキングに行くにしては、化粧が濃いのだ。深夜に、そんなに綺麗に化粧をして出かけていくのは変だ。 そして三日前、浩司は二人の後をつけた。二人は家と家の中間地点にある公園で落ち合っていた。 「ホテルとかじゃないなら、相談事があったとかじゃないですかね」 「信じたい気持ちは分かるよ。でもな、二人で多目的トイレに入ったんだ。二十分も出てこなかった」 さとみは言葉を失った。 「私たち、仲良くしてますし、夫婦仲が悪いとかもないんですけど」 「うちもそうだった。だから驚いてるんだ」 さとみは夫に問い詰めるべきか悩んだが、浩司は待ったをかけた。エリカが体調不良で、健一が付き添いでトイレに入っただけかもしれないではないか、と。しかし浩司は首を振る。 「三日連続で、具合が悪くなってトイレに入ると思うか? あの日から毎日続いてるんだぞ」 確かに、本当に体調が悪いならウォーキングを休むはずだ。さとみは納得するしかなかった。 「さとみちゃんに言うべきか迷ったよ。でも妊活してるって言ってたし、真実を知るなら早い方がいいと思ったんだ。辛い思いをさせてごめんな」 「いえ、辛いのはお兄さんも同じですから」 浩司はスマホで動画も撮ったらしい。しかし暗くて、はっきりと顔が映っていなかった。弁護士の友人に相談したら、これでは言い逃れされるかもしれないと言われた。はっきりと顔が分かる証拠が必要だった。 「そのために俺は、直近でいくつか出張を入れることにした。さとみちゃんも、どこか行くことできないかな」 「私たちが同時にいなくなれば、相手が動き出すってことですか?」 「そうなんだ。その日に探偵をつけようと思ってる」 さとみは、ちょうど母の体調が良くないので実家に帰ろうと思っていたところだった。出張は来週の火曜日。その日で調整することになり、さとみは健一にそれとなく伝えておくと言った。 翌日、さとみは健一に実家に帰りたいと申し出た。母の体調が悪化したという話に、健一は快く送り出してくれた。「排卵日なのにチャンス逃しちゃうけどごめん」と謝るさとみに、健一は「また来月頑張ればいいじゃん」と笑った。「いい旦那さんでよかっただろ?」と得意げな顔で。さとみは胸の内だけで、その言葉がどれほど皮肉に聞こえたかを呑み込んだ。 数分後、さとみは浩司に連絡を入れた。出張の日、実家に帰ることになったと。浩司も健一に伝えたらしい。二人が家を空ける時間が確保できた。浩司は言った。 「俺が考えるに、普段はトイレでこそこそしてるから、家を空けたら羽を伸ばすと思うんだ。ホテルか、どっちかの家かに。」 浩司は小さなカメラを用意していた。見つかりにくい場所に設置してほしいという。 「そこまでするんですか?」 「家に入っただけだと、挨拶に寄っただけと言い逃れされるかもしれないだろう」 さとみは迷ったが、浩司の真剣な眼差しに頷いた。自分も真実を知りたい。そう思った。カメラはリビングと寝室に一つずつ設置することになった。 一週間後、さとみは予定より早く帰ってきた。母の体調が良くなったのと、「主婦がいつまでも家を開けるのはダメ」と言われたからだ。電車の中で、健一に買い物を頼まれ、駅の裏のパン屋でメロンパンを買って帰ることになった。 家に着くと、健一は慌てた様子だった。「部屋が汚い」と言って、さとみに掃除をさせまいとした。さとみが片付けようとすると、「疲れてるんだし、俺がやっとく」と言って、パンだけを渡した。 さとみは確信した。この家に、さっきまで他の女がいた。いや、他の男がいたのだ。エリカがこの家に来ていた。健一は、さとみが帰ってくる前に片付けようとして、時間を稼いでいたのだ。 さとみは浩司に電話した。探偵の報告では、エリカは一時間前にこの家に入ったらしい。 「私、無理です。あの二人が使ったベッドで寝られません」 「だよな。まさかそっちの家ばっかり使うとは思ってもみなかった」 「お姉さんが、自分たちの家に呼ばないのには理由があるんですか?」 「うちは近所付き合いが結構あるからな。人の目を気にしてるんだろう」 さとみは実家に戻ることも考えたが、両親に心配をかけたくないとホテルに泊まることにした。浩司がお金を出すと言ったが、さとみは断った。明日、カメラを回収したら連絡すると言って、電話を切った。 翌日、健一から何度も電話がかかってきた。さとみは出なかった。結局、母の容体が急変したという連絡があって、急いで駆けつけた、と嘘をついた。健一は心配してくれたが、さとみの返答は冷たかった。「次からは帰ってくる前に連絡してほしい」と言う健一に、「なんで?」と問い返すと、「ちゃんと片付いた部屋で出迎えたいからさ」と答えた。その言葉が、どれほどさとみの心を抉ったか、健一は知る由もなかった。 数日後、浩司がエリカを問い詰めた。さとみも立ち会い、健一も呼び出された。 「俺の弟と浮気するなんて大した根性してるな」 「はあ? 浩司とちょくちょく会ってるのは、身内だからよ。あなたやさとみちゃん抜きで会うのがおかしいの?」 「なんで浩司の家に行ったんだ?」 「さとみちゃんが実家に帰ってるでしょ。あなたも出張でなかったし、料理や掃除とか助けになればと思っただけよ」 「朝まで掃除してたのか?」 … Read more