「家で鏡くらい見ろよ」「デブでダサい」と妻を捨てた夫――私は何も言わず離婚した。1年後、同窓会で再会した元妻の姿に、彼は顔面蒼白で言葉を失った。感動の物語
第2部:隠された才能が目覚めたとき 高一は上機嫌だった。 離婚届を出した翌日の昼下がり。見晴らしの良いホテルのラウンジで、彼は西野リサと向かい合って座っていた。34歳のリサは高一の職場の後輩であり、今は堂々と彼の隣に座る恋人でもある。ふんわりとした明るい色のワンピースを着た彼女は、誰もが振り返るような華やかさを持っていた。 「奥さん本当に何も言わなかったんですね」 リサはストローで冷たい紅茶をかき混ぜながら、クスクスと笑い声を漏らす。 「ああ、泣きわめいてすがりついてくるかと思ったんだがな。あっさりしたもんだったよ。荷物をまとめて昨日の夜のうちに出ていった」 高一はコーヒーカップを手に取り、誇らしげに答えた。 「やっぱりご自分でも分かっていたんじゃないですか。高一さんの隣にはもう不釣り合いってこと?」 「全くだ。あいつは昔からそうだ。何を着ても地味なんだよ。俺が広告代理店の営業部長としてどれだけ外の目を気にしているか、まるでは分かっちゃいない」 高一は自分が完全な勝者であると信じて疑わなかった。若くて美しいリサを手に入れ、用なしの妻を切り捨てた。これからの人生はもっと輝かしいものになる。リサもまた、自分が選ばれた女であるという優越感に浸っていた。地味なおばさんに若さと美しさで勝ったのだと。 しかし彼らは全く気づいていない。まゆみが何も言わなかったのは自信がなかったからでも惨めだったからでもない。20年間何度説明しても自分を見ようとしなかった夫に対して、言葉で理解させることを諦めただけだということに。 一方その頃、街角にある静かな喫茶店で、まゆみは高校時代の親友である田中美希と向かい合っていた。待ち合わせ場所に現れたまゆみを見るなり、美希は言葉を失い、そのまま席についても数分は黙り込んでしまっていた。 「美希?」 まゆみが不安げに声をかけると、美希の声はか細かに震えていた。 「まゆみ、あなたずっとそんな顔で笑ってたの」 突然の問いにまゆみは戸惑った。 「ええ、そんな顔って……私そんなにひどい顔してる? やっぱり急に家を出たから疲れてるのかしら。高一さんにも昨日『デブでダサい』って笑われちゃった」 夫から浴びせられ続けた言葉がまだ胸に刺さっている。きっと今の自分は誰の目から見てもみすぼらしいおばさんなのだろう。そう思って俯きかけたまゆみに、美希は強く首を横に振った。 「違うわ」 美希は身を乗り出し、まゆみの少し荒れた手を両手でぎゅっと握った。 「あなたは太っていたんじゃない。醜くなったわけでもないのよ。でも高一さんはいつもそう言って……あんな男の言葉なんてどうでもいい。あなたはね、20年間人のために自分を後回しにしていただけなのよ」 その言葉がまゆみの胸の奥にすっと落ちていった。 「自分を後回しに……そうよ。高一さんの転勤のたびに自分の生活を犠牲にして、義理のご両親のお世話も全部引き受けて、自分の服を買うお金も美容院に行く時間も全部家族のために使ってきたんでしょう」 美希の目からふいに涙がこぼれ落ちた。 「あなたはダメになったんじゃないわ。ただ自分のために生きるのを休んでいただけでしょう」 その瞬間、まゆみの目の奥が熱くなった。20年間誰にも分かってもらえなかった、夫にすら見ようとしてもらえなかった痛みを、美希は一瞬で見抜いてくれたのだ。 「女として終わっている」と否定され続け、自分でもそう思い込んでいた心が、ゆっくりと溶けていくのを感じた。無理に作っていた笑顔が崩れ、まゆみの目から大粒の涙が溢れ出した。 少し落ち着きを取り戻したまゆみに、美希はバッグの中から一枚の封筒を取り出した。 「これ、あなた宛てに実家に届いていたそうよ」 まゆみが受け取ると、それは来年開かれる高校の同窓会の招待状だった。 「私も幹事の一人なの。まゆみ、逃げなくていい。今のあなたで来ればいいのよ。堂々としていなさい」 そして美希はもう一つ、重要なことを伝えた。 「黒田さんからあなたに連絡して欲しいって頼まれているわ」 黒田千鶴。まゆみがかつて勤めていたアパレル会社の元上司だった。 まゆみは驚いて顔を上げた。 「黒田さんが? どうして私に……」 「あなたの企画力と色彩感覚、そして着る人の心に寄り添う才能。黒田さんは今でもあなたを高く評価しているの。何度も復帰を誘ってくれていたんでしょう」 まゆみはテーブルの上に置かれた自分の小さなバッグを見つめた。そこには家を出る時になぜか無意識に持ち出していた古い布地の束が入っていた。色、素材、襟の開き、肩の落ち方——それらに触れると胸が高鳴っていたあの頃。20年間、夫の冷たい言葉と家庭の重圧で心の奥底に封じ込めていた本当の自分。それが今、か細かな音を立てて目を覚ましそうとしていた。 自分を粗末に扱う夫の隣にはもう戻らないと決めた。しかしまだ空白の20年という時間はあまりにも重い。夫が笑い捨てた「デブでダサい自分」に、果たして何ができるのか。かつて才能を認められた業界に、自分の居場所など本当に残されているのだろうか。 数日後、まゆみは都内にある小さなデザイン事務所を訪れていた。目の前に座っているのはかつての上司である黒田千鶴だ。黒田はまゆみの顔をじっと見つめた。そこにあるのは哀れむような目ではない。プロとして相手の本質を見抜く鋭い視線だった。 「まゆみさん、あなたいい顔になったわね」 「え……?」 「20年前の、ただセンスが良かっただけのあなたじゃない。今のあなたには痛みを知っている人間の深みがあるわ」 まゆみは戸惑った。数日前までは「女として終わっている」と鼻で笑われ、あっさりと切り捨てられたばかりだ。鏡を見るたびにくすんだ肌と崩れた体型から目をそらしてきた。自信などとうの昔に失っている。 黒田は一枚の企画書をテーブルに滑らせた。 「今度、新しい大人向けのブランドを立ち上げるの。ターゲットは体型や年齢に悩み、自分を諦めかけている女性たち。私はこの企画の責任者をあなたに任せたい」 「私に? でも私は20年も現場を離れています。今の私は元夫にも『デブでダサい』と罵られるような、ただの老け込んだおばさんですよ」 「だからこそよ」 黒田は強く言い切った。 「あなた自身がその痛みを一番よく知っているでしょう。若くてスタイルのいいデザイナーには絶対に作れない服がある。隠すためじゃなく、もう一度自分を好きになるための服。あなたにならそれが作れるはずよ。人のために生きてきた20年は決して無駄じゃない」 その言葉にまゆみの胸の奥で凍りついていた何かが熱を帯びるのを感じた。 その週末、まゆみは残りの荷物をまとめるため、かつて住んでいたマンションへ戻った。すでに高一は連絡を入れていたが、玄関の鍵を開けると余ったるい香水の匂いが鼻をついた。リビングから楽しげな声が聞こえてくる。 … Read more