閉店の夕方、息子がカタログを調理台に放り投げて言った。「来月から煮物はやめて、これに切り替える。揚げるだけで出せるなら、朝からの仕込みもいらないだろ」。三十年、夫と二人で守ってきた看板の味だった。認知症で施設にいる夫と何度も作り直した里芋の煮物を、三夫は一口食べて顔をしかめた。「古臭いし、味も薄い。こんなんだから客が年寄りばかりになるんだぞ」「母さんは雇われてるんだから、言われた通り作れ。嫌…
店の営業が終わったその日の夕方、息子の三夫が業務用の濃いたれと冷凍の揚げ物のカタログを調理台に放り投げた。 「来月から煮物はやめて、これに切り替える。揚げるだけで出せるなら、朝からの仕込みもいらないだろ」 私は思わず手を止めた。この店は三十年、夫と二人で切り盛りしてきた。煮物は看板の味だ。 「煮物を目当てに来る人も多いのよ。急に全部変えたら、お客さんが困るでしょう」 三夫は私が作った里芋の煮物を一口食べ、露骨に顔をしかめた。 「古臭いし、味も薄い。こんなんだから客が年寄りばかりになるんだぞ」 「これはお父さんと何度も作り直して決めた味よ」 「昔話で売上は増えない。今の経営者は俺だ」 三夫はカタログを私に押し付けた。 「母さんは雇われてるんだから、言われた通り作れ。嫌ならやめればいい」 私は首にかけたエプロンを外した。 「なら、今日でやめるわ」 三夫は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに鼻で笑った。 「二度と戻ってくるな」 「分かった。もう厨房には戻らない」 私は三十年使ってきた包丁を一本だけ布に包み、店の裏口から出た。 三夫に店を任せたのは、一年半前のことだった。夫の茂光は四年前から物忘れが増え、二年前に認知症と診断された。夜中に一人で外へ出ようとすることもあり、私だけでは支えきれなくなったため、今は介護施設で暮らしている。店を閉めようかと考えていたちょうどその時、会社員だった三夫が言った。 「父さんの店を潰したくない。俺に任せてくれ。母さんが厨房にいてくれたら、絶対うまくいく」 妻の里沙も私の手を握った。 「お父さんが戻れる場所を、みんなで守りましょう」 その言葉が嬉しくて、私は店の経営を三夫に任せることにした。会社員だった三夫は、いつか自分の店を持ちたいと言っていた男だ。引き継いだ頃はエプロンを締め、注文を取り、私の隣で包丁も握った。 「父さんが帰ってきた時、驚くくらい立派な店にするよ」 そう笑う息子を見て、茂光もきっと喜ぶと思った。 だから私は、三夫が店をやりやすいように条件をできる限り軽くした。店舗と二階の住居は私の名義だ。夫婦で働き、三十年かけて守ってきた建物。周辺なら月十八万円ほどする場所だが、息子だからと五万円で貸した。三夫夫婦は「一人にはしておけないから」と二階の住居に引っ越してきたが、住居分の家賃は受け取らなかった。 店の中でも、私の立場は変わった。私は従業員という扱いになった。時給は地域の最低賃金と同じ。しかも給料が出るのは、店を開けている午前十一時から午後三時までだけだった。実際には朝六時半から出汁を取り、野菜を切り、閉店後も洗い物と翌日の仕込みをする。しかしその時間は「家族の手伝い」とされ、給料には入らなかった。 最初の給料明細を見た時、私は計算が間違っていると思った。一月に働いたのは百時間を優に超えているのに、記載されていたのは営業時間の八十時間だけだった。三夫に尋ねると、笑いながら言った。 「回転前は母さんが好きでやってる仕込みだろ。家族でやってる店で、そこまできっちり言うなよ」 ところが売上が伸びた月には、三夫は自分の経営判断のおかげだと胸を張った。私の料理を目当てに毎日来る客のことは、一度も口にしなかった。 三夫は「経営者は現場より数字を見るのが仕事だ」と言って、昼食を食べる時しか店に来なかった。注文をつけるだけで、忙しくても客席には出なかった。 それでも、息子が店を続けてくれるならと思い、私は黙って働いた。 ある日の食卓で、里沙が言った。 「お母さん、来月から家に六万円入れてくださいね」 「何のお金?」 「生活費です。食事もお風呂も一緒なんですから」 「固定資産税も水道代も、今まで私の口座から払っているわ」 里沙は深いため息をついた。 「固定資産税や水道代と生活費は別でしょう。私たちがいなかったら、お母さんなんてただの年金暮らしの老婆ですよ」 向かいに座る三夫は、止めるどころか頷いた。 「里沙も家のことをやってるんだ。母さんも少しくらい協力してくれよ」 家のことをしていたのも、毎日の食事を作っていたのも、私だった。それでも夫の店を息子と争う場所にしたくなくて、私は翌月から六万円を渡した。 手元のお金も、自分の時間も減っていった。それでも毎週決まった時間だけは開けておいた。週に一度、茂光の施設へ行く時間だけは守った。 ある日、茂光の好きな煮物を小さな容器に詰めて持っていった。茂光は私の名前が出てこない日もある。その日も私を見て「どちらさんだったかな」と首をかしげた。けれど煮物を一口食べると、もう一度箸を伸ばした。 「うまいな。店の味だ」 「覚えてるの?」 「この味、客が喜ぶな。ところでおばさん、誰じゃ?」 その言葉を聞いて、私は空になった容器を胸元へ引き寄せた。私たちの料理を古臭いと言う人がいても、必要としてくれる人まで消えたわけではなかった。 「嫌ならやめればいい」と言われた翌朝、私はいつもの時間に目を覚ましたが、厨房へは降りなかった。七時を過ぎると、三夫が部屋のドアを何度も叩いた。 「母さん、仕込みは? 昨日は腹を立ててただけだろう」 「やめると言ったでしょう」 「昼までに煮物だけ作ってくれ。注文が入ってるんだ」 「自分でなんとかして」 私はドアを閉めた。その日は一階から出汁の香りが上がってこなかった。昼前には食器の割れる音がし、三夫が従業員を怒鳴る声まで聞こえた。 夕方、長年通ってくれている常連さんから電話が来た。 「みつ子さん、今日はお休み? … Read more