式当日の朝、携帯が震えた。相手は、今日結婚するはずの男だった。「悪いんだけどさ、今日の結婚式、なしにしてくんない?」「は?何言ってるの?今からヘアメイク始まるんだけど」「他に好きな人ができたんだわ。ももかが妊娠した。だから今日の式、俺とももかの結婚式に変更しようと思う」「は?」「キャンセル料もったいないだろう。新郎だけ入れ替えるってこと」「私の親族や友人が半分いるのよ。新郎が知らない女に変わ…

式当日の朝、携帯が震えた。相手は、今日結婚するはずの男だった。 「悪いんだけどさ、今日の結婚式、なしにしてくんない?」 「は?何言ってるの?今からヘアメイク始まるんだけど。悪い冗談はやめて」 「俺、お前とは結婚できない」 「なんで?今日まで一緒に準備してきたでしょ?」 「他に好きな人ができたんだわ」 「式当日に言うこと?」 「いつ言おうか迷ってる間に今日になった」 「マリッジブルーでもこじらせたの?」 「違うって。実は半年くらい前から付き合ってて、その子が妊娠したんだよ。今朝検査したら陽性だったって言われたんだ。こんな気持ちでお前と結婚なんかできないだろう」 「本当にあなたの子なの?」 「当たり前だろ。だから俺はももかと結婚する。責任取らなきゃいけないからな」 「私への責任はどうなるのよ」 そこで彼は、信じられないことを言い出した。 「ちょっと相談なんだが、今日の式は、俺とももかの結婚式に変更しようと思う」 「はい?」 「キャンセル料がもったいないだろう。どうせ俺とももかも、いずれ式はあげなきゃいけないし。譲ってくんないかな」 「何言ってんの?」 「分かりやすく言うと、新郎だけ入れ替えるってこと」 「分かった上で、何言ってんだって聞いてんのよ。招待客の半分は私の親族や友人なのよ。新郎が知らない女に入れ替わって、納得するわけないでしょ」 「そこはお前がうまく説明しとけよ」 「もう会場に向かってる人もいるのよ」 「だから今連絡してるんだろう」 「遅すぎるでしょ」 「金なら俺が全額払うから頼むよ」 「私に全部払わせたあなたにお金なんてあるわけないよね」 「それが、まとまった金が近々入る予定なんだ」 「怪しい。騙されてんじゃないの?」 彼女は頭を整理しようとした。半年間、彼は裏で別の女と付き合っていた。妊娠までさせていた。そして今、式場と新居を譲れと言っている。 「また式の準備を一からやるって考えたら、ぞっとする。このまま使わせてくれたら楽できるじゃん」 「いやいや、準備してたの、私よ」 「あんなのだるいに決まってんだろう」 「私が気を使うことじゃないけど、お下がりの結婚式なんて、相手の女性が嫌がるんじゃない?」 「ももかはそういうの気にしないって」 「女いるかな?」 「じゃあお前の身内には、飯だけ食って帰ってもらうか」 「誰が納得すると思ってんのよ。頭おかしいの?」 「じゃあ今すぐ連絡して、お前の方だけ断ってくれ」 「みんな今日のために予定を開けてくれたのに」 「悪いな」 彼女は深く息を吸った。混乱して見逃していたが、これはつまり、半年も騙されていたということだ。ありえない。 「どっちもいい女だから選べなかったんだよ」 「ケースに並んだケーキみたいに言わないで」 「確かに昔からケーキ選ぶの苦手だったわ」 「お母さんはなんて言ってるのよ」 「おふくろは大賛成してくれてるよ。後継ぎができたって大喜びだ」 「親子してどうかしてるわ。不貞行為を容認するなんて」 「おふくろが言うには、ももかの方が愛嬌があって好きだって」 「ああ、そうですか」 「大体、後継がどうとか言ってるけど、まだ性別も分からないのに浮かれていいわけ?」 「母さんの勘は当たるんだよ。とりあえず今回は身を引いてくれ」 「次回があるみたいに言わないで」 「式場スタッフが近くにいるだろう。ドレスをお前のサイズより二つくらい下げたやつで、いくつか用意するよう言ってくんない?」 「よく私に頼めたわね」 「それと、新居のマンション、あれもももかに譲ってやってほしい」 … Read more

14 September 2026

妊娠したと告げた瞬間、夫は言った。「それはあの子の子だから、責任を取って再婚するわ」。私は半年間、不妊治療の痛みに耐えてきた。なのに彼は、私の留守中に実の兄の妻を我が家の寝室に招き入れていた。証拠の映像を見せても「AIだろう」と笑った夫。義姉は「奥さんに原因があるのよ」と開き直った。全てを失った二人は、それでも幸せそうに式場の下見に来た。そこへ親族、友人、会社の人間が続々と集まってきた。私た…

「お兄さん、突然何の冗談ですか?」 「本気だ。行動がおかしいんだよ。例えば、運動嫌いのエリカが突然ウォーキングを始めたんだ。」 「健康のためじゃないんですか?」 「としても、夜の二十三時頃に出ていくのはおかしいだろ。」 「確かに、それはちょっと遅いですね。」 「女性の一人歩きは危険だって言ったんだが、深夜の方が静かだからって聞かなくてさ。」 「それはいつからですか?」 「半年くらい前だよ。」 「実は……浩さんもランニングと言って、同じ時間帯に外に出るようになったんです。」 「いつからだ?」 「半年くらい前ですね。」 「同じ頃だな。こっちは男だし、大して気にしてなかったんだが。」 「何時頃に帰ってくるんですか?」 「一時少し過ぎたくらいだ。」 「エリカもそのくらいだよ。」 最初は運動ならいいことだと思って応援していた。しかしある日、エリカのウォーキングに行く姿が気になった。夜中だというのに化粧が濃いのだ。 「確かに変ですね。夜中だし、私ならメイクはしません。」 「だろ?胸騒ぎがしてな。三日前の晩、後をつけたんだ。」 「浩さまとお姉さんが会ってたってことですか?」 「うん。俺らの家の中間地点に公園があるんだが、そこで二人が会ってたんだ。」 「ホテルとかじゃないなら、相談事とかじゃないんですか?」 「信じたい気持ちは分かるよ。でもな、二人で多目的トイレに入るのはおかしくないか?二十分も出てこなかったんだぞ。」 「信じられません……私たち、仲良くしてますし、夫婦仲が悪いとかもありません。」 「うちもそうだった。だから驚いてるんだ。」 「夫に聞いてみます。」 「待ってくれ。」 「どうしてですか?」 「お姉さんの具合が悪くなって、付き添いで一緒にトイレに入っただけかもしれないだろ。」 「三日連続で具合が悪くなってトイレに入ると思うか?あの日から毎日定期行してたんだ。本当に具合が悪いなら、ウォーキングなんて休むはずだ。」 「確かに、おっしゃる通りです。」 さとみに話すべきか迷った。だが、妊活もしていると聞いていた。真実を知るなら早い方がいいと思ったのだ。 「辛い思いをさせてごめんな。」 「いえ、辛いのはお兄さんも同じですから。」 「俺も一応スマホで動画は撮ったんだが、暗いせいかあまり顔が映ってなくてな。弁護士の友人に相談したら、これじゃ言い逃れされるかもしれないって言われた。」 「はっきり顔が映った証拠が必要ってことですか?」 「そうなんだ。だから、俺は直近でいくつか出張を入れることにした。さとみちゃんもどこか行くことできないかな?」 「私たちが同時にいなくなれば、相手が動き出すってことですか?」 「そう。その日に探偵をつけようと思ってる。」 「分かりました。ちょうど良かったんです。母の体調が悪いみたいで、近々実家に帰ろうと思ってたところだったんです。」 「出張は来週の火曜日なんだが、その日でいいか?」 「はい。浩さんにもそれとなく言っておきます。」 「じゃあよろしく。」 翌日、さとみが夫に言った。 「来週の火曜日なんだけど、実家に帰っていいかな?」 「何かあったのか?」 「母さんの具合があまり良くないって言ってたでしょ。少し悪化しちゃったみたいで。父さんも疲れてるみたいだし、手伝ってあげたくて。」 「それは心配だね。帰ってあげた方がいいよ。」 「ありがとう。排卵日なのにチャンス逃しちゃうけど、ごめんね。」 「また来月頑張ればいいじゃん。」 「うん。そうだね。ご飯はどうする?」 「適当に外で食うから大丈夫だよ。俺のことは心配しなくていいから、何日かゆっくりしてきなよ。」 「いい旦那さんでよかった。」 「だろ?じゃあ遠慮なく行かせてもらうね。」 「お母さんとお父さんによろしくな。」 数分後、さとみは兄に電話した。 … Read more

14 September 2026

お姉ちゃん、久しぶり。元気してた?私が誰かって?ひどいなあ、妹だよ。三年前にあなたの旦那を奪ったのは謝るよ。でも、実家を立て直したんだって?すごいね。だったら私たちも一緒に住めるでしょ、よろしくね。は?何言ってるの?住むって誰が許可したの?え?許可なんて必要ある?元々は私たちの家でしょ。お姉ちゃんだけのものじゃないんだから。夫の会社が倒産して、本当に困ってるのよ。アパートの家賃も払えなくて追…

お姉ちゃん、久しぶり。元気してた? 私が誰かって?ひどいなあ、妹だよ。知ってて聞いてるでしょ。今さら何の用?まさか、ようやく謝罪でもする気になったの? え?謝罪?何のこと?それよりさ、親戚から聞いたんだけど、実家を立て直したんだって?すごいね。やっぱりお姉ちゃんは成功してるんだ。 で、何が言いたいの? あのさ、三年前にお姉ちゃんの旦那を奪ったのは謝るよ。でも、実家立て直したんだったら、私たちも一緒に住めるでしょ。よろしくね。 は?何言ってるの? だから、実家に住むの。 住むって、誰が許可したの? え?許可なんて必要ある?だって元々は私たちの家でしょ。お姉ちゃんだけのものじゃないんだから、住むのに許可なんていらないじゃん。 でも、親の許可はいるでしょ。実家なんだから。 お母さんたちは優しいから、きっと許してくれるよ。 何その滅茶苦茶な理屈。まあいいわ。来れるなら来てみなさいよ。 え、本当?住所送ってくれる?行くわよ。行けないと困るし。 何が何でも行くって感じね。何があったの? 夫の会社が倒産して、本当に困ってるのよ。 ああ、たけしの会社が潰れたのね。それは大変そうね。 大変なんてもんじゃないわ。アパートの家賃も払えなくて、追い出されそうなの。 だから、うちに逃げてくるわけね。 うん、まあ、そういうこと。 あなた、恥ずかしいとか思わないわけ? 仕方ないじゃん。生活に困ってるんだから。お姉ちゃんは弁護士事務所まで持ってて、依頼者もたくさんいて稼ぎもすごいんでしょ?実家を立て直せるくらいお金があるんだから、私たちくらい助けられるでしょ。 へえ、よく調べたのね。 だって、余裕のない人に助けてって言っても無駄じゃん。 そういうところだけしっかり常識があるのは、本当に何なのよ。それより、たけしの会社は何が原因だったの?助けて欲しいなら、事情くらい話せるでしょ。 経理担当の人がミスしちゃったみたいでさ。 ミス? うん、帳簿の数字が合わなくなって、それが何回も続いたみたいなの。そのせいで取引先との契約も切られたらしいのよね。 らしいのよね、って。あなた働いてなかったんでしょ?会社の手伝いすらしてなかったの? 私がそんなの分かるわけないじゃん。経理なんて専門家の仕事だし。社長夫人なんだから、家で待ってるのが仕事でしょ。 ああ、そういう考えなのね。じゃあ、あなたは会社の倒産には関係なかったわけね。 たけしは本当に真面目に経営してたのよ。社員の給料もちゃんと払ってたし、取引先にも誠実だったし。 そういえば、あいつは会社の人間にはいい顔してたわね。でも、自分のせいで会社が潰れたって思い悩んでそうね。その経理担当の人は今どうしてるの? その人も仕事を探してるみたい。気の毒よね。 社員みんな気の毒じゃない?働き口がなくなったんだから。あなたも今、生活に困ってるんでしょ? でも、私はたけしを責めるつもりはないわよ。 え?あなたが真っ先に責めそうなのに。 私を何だと思ってるの? 姉の夫を奪った最低の性格ブス女、ってところかしら。 妹にそんなこと言う?大体、誰だってミスはするし、責めても仕方ないじゃん。 そう、随分優しくなったのね。 当たり前でしょ。お姉ちゃんと違って、私は思いやりがあるのよ。 思いやりがある人は、略奪なんてしないし、平気で実家に住ませろなんて言わないわよ。 実家なら家賃がかからないもん。それに、お姉ちゃんは実家を立て直せるほどお金があるんでしょ?別の家を借りればいいじゃない。 はあ?なんでそうなるのよ。 私たちが実家に住むんだから、お姉ちゃんは気まずくて出ていくでしょ。元夫婦が同じ屋根の下なんてありえないし。 ああ、やっぱり性格はそのままなのね。なんかちょっと安心したわ。 え?何の話? こっちの話よ。住所は送るから、どうするかはそっちで決めなさい。 一時間後、たけしは美結の携帯を受け取った。 たけし、やったよ。お姉ちゃんが住所を送ってくれた。来週引っ越せるわ。ホームレスにならずに済むよ。 本当か?これで住む家に困らないな。いや、助かったけど、あいつに顔を合わせるのは気まずいな。 え?何を気にしてるの?堂々としてればいいじゃん。それに、きっとお姉ちゃんも気まずくて、すぐに家を出ていくわよ。 ああ、そうなのか。 普通に考えて、お姉ちゃんの方が出ていくでしょ。つまり実家は私たちが使えるってこと。お姉ちゃんは弁護士で稼いでるんだから、もっといいマンションでも借りればいいのよ。 そうだな。それならありがたい。 … Read more

14 September 2026

「おい、さえ、いくら忘れっぽいからって、しっかりしろよ。」五年前に離婚した元夫のたくから、突然そんな電話がかかってきた。春の午後、私はベランダで洗濯物を干していたところだった。「何の話?」と聞き返すと、彼は「離婚しても、ちゃんと住宅ローンの支払いしろって話だよ」と言った。私は思わず笑ってしまった。五年間、一度も払っていないローンを、今さら請求されたのだ。「お前が忘れてるだけだろ。今回は許すけ…

「おい、さえ、いくら忘れっぽいからって、しっかりしろよ。」 突然かかってきた電話の声に、さえは眉をひそめた。元夫のたくからだった。 「何の話?」 「離婚しても、ちゃんと住宅ローンの支払いしろって話だよ。」 「は? 私たち、五年前に離婚したわよね。それに、この五年間、一度も払ったことなんてないわよ。」 「それは俺が、お前が払うのを待ってたんだよ。最初はうっかりかと思ったけど、お前の忘れっぽさを考えると、支払い自体を忘れてそうだなってな。」 「支払う義務があるとは思えないんだけど。」 「お前、離婚の時に書類にサインしただろ。あれで支払い義務が発生してるんだよ。」 「そんな話、離婚の時には聞いてなかったわよ。」 「お前が忘れてるだけだろ。今回は許すけど、忘れずにちゃんと振り込んどけよ。」 さえは仕方なく「分かったわ。一応確認はするけど」と答えて電話を切ったが、どうしても納得できなかった。五年前の離婚の時に、そんな取り決めがあっただろうか。確かに財産分与やら何やらで書類にはサインしたが、ローンの支払い義務が発生するという話は記憶にない。 「多分、あなたの勘違いよ。頭、大丈夫?」 さえはそう言い返したが、たくは「お前が何と言おうと義務は義務なんだよ。分かったら早く払え」と一方的にまくしたてて、電話を切った。 その日の午後、さえは隣の家の庭で植木の手入れをしているげんさんの姿を見かけて、声をかけた。 「げんさん、ちょっと聞いてもらってもいいですか?」 「おや、さえちゃん、どうしたんだい? 植木の剪定はさっき終わって、今お茶を飲んでるところだよ。こんな隣のおじいちゃんでよければ、話を聞くよ。」 「実は、元夫から住宅ローンの支払いを請求されてしまって。」 「ローン? そうなの? でも、この五年、一度も払ってないんだろう?」 「なのに、どうして今更なのかって話で。離婚の時に書類にサインした記憶はあるんだけど、それがローンの支払い義務だったかどうか、私も覚えてなくて。」 げんさんは優しくうなずいた。「確かに、いきなり支払い義務があるとか、書類にサインしたからと言われると不安になるね。」 「私も義務なんてないと思うけど、なんか自信がなくて。」 「ねえ、さえちゃん。離婚の時の書類、まだ持ってるかい?」 「探せばあると思います。」 「よければ、知り合いに弁護士や税理士がいるから、聞いてみるよ。専門家に聞いた方が早いし、その方が元旦那さんも納得してくれるだろう。」 「あ、でも、そんな、いいんですか?」 「困った時はお互い様だからね。じゃあ、任せて。」 げんさんは「それと、もし元旦那さんが怖いことを言ってきたら、スクショを取っておくんだよ。そういうのも後で使えるかもしれないからね」と付け加えた。さえは「使う?」と首をかしげたが、げんさんはただ「うん」と微笑むだけだった。 数時間後、またたくから電話がかかってきた。 「おい、さえ。さっき確認したけど、まだ振り込んでないよな。早くしてくれよ。困ってるんだ。」 「今、確認してるから、ちょっと待って。」 「確認? 何を確認してんだよ。お前が払う義務があるのは確定してるだろう。」 「でも、念のため弁護士さんに聞いてるの。」 「弁護士? お前、そんな金あるのかよ。」 「知り合いが紹介してくれたのよ。ちゃんと私に支払い義務があるって専門家が判断したら、その時は振り込むから。」 たくは「まあいい。とにかく早く頼むわ」とぶっきらぼうに言った。さえはふと気になって尋ねた。 「それにしても、困ってるってどういうこと? あなた、借金でもしたの?」 「なんだよ。いきなりお金が欲しいって言うから、そう思うのも無理ないけど、借金とかじゃねえよ。本当に。」 「じゃあ、なんでそんなにお金が必要なの?」 「ちょっと勉強代がかさんだんだよ。」 「勉強代? どういうこと?」 「セミナー代だよ。今、投資の勉強をしてるんだ。」 「セミナー? 投資の?」 「そうだよ。俺、今すごい先生に教わってるんだ。この先生についていけば、俺は成功できる。生徒の中には、億万長者になった人もいるんだぞ。」 さえはその話を聞いて背筋が寒くなった。 「ねえ、それってもしかして詐欺じゃない?」 「詐欺? … Read more

14 September 2026

ハワイで結婚式を挙げるって決めた瞬間から、全部が狂い始めた。おばあちゃんが「パスポートはあるから大丈夫」って笑ってくれたのに、式当日、私のドレス姿を見た人は誰もいなかった。け太は「急に仕事が入った」と電話一本で消えた。でも一週間後、彼の母親・みちこがおばあちゃんに言い放ったんだ。「引退したババーに何ができるんですか」って。おばあちゃんは静かに笑って「覚悟しろよ」とだけ返した。それから、け太も…

おばあちゃんがハワイで結婚式をやるって決めたんだ。おばあちゃんも招待したいんだけど、いいかなって聞いたら、パスポートはあるから大丈夫だって笑ってくれた。本当によかった。すごく楽しみにしてくれてる。 でも、ハワイなんてお金がかかるって思ったのは私だけじゃなかった。おばあちゃんも同じことを言った。全く贅沢だわって。 だから私は言った。費用は自分たちで出すから、おばあちゃんは貯金してほしいって。 そしたらおばあちゃんが怒ったんだ。あんたは昔からお年玉ももらおうとしなかったって。バーばは金を出したいの。経済を回してるんだからいいでしょって。 それでも私が遠慮したら、おばあちゃんはこう言った。 「そんなに気になるなら、結婚式で目いっぱい幸せな顔をして、バーを悔しがらせてみせな」 本当にいいのか聞いたら、金は持ってるやつが使えばいいのって。大体、バーが金を持ってても医療費に消えていくだけだから、少しぐらいめでたいことに使わせなさいって。もう大きな金の使い道なんて、葬式くらいしかないんだからって言うんだ。 演技でもないこと言わないでよって言ったけど、ありがとうって伝えた。私が何を言ってもおばあちゃんは止まらないからねって言ったら、分かってるじゃないって笑ってた。 だからありがたくもらうよ。その代わり絶対に幸せな顔を見せるからねって約束した。 数日後、おばあちゃんのところに一人の女性が訪ねてきた。息子の妻、みちこだった。 「鶴子さん、お久しぶりです。息子から聞いたんですが、結婚式の費用を全額負担してくださるそうで」 「ああ、その話か。私が勝手にやったことだよ。そちらが引け目を感じることもないし、後から引き合いに出すつもりもない」 「そうですか。それにしても、結婚式の費用全額だなんて。まあ、お金持ちは違いますわね」 「別に、ババーの義務だからそうしてるだけだよ。金を持ってる老人が金を落とす方が世のためだからね」 「義務ですか?随分と余裕のあるお言葉で羨ましいですわ。引退されてもそんなに余裕があるなんて」 「人生を引退したつもりはまだないよ。まあ、社会的には引退してるけれどね」 「でも鶴子さんももうお年ですし、あまり無理なさらない方がいいですよ。孫に見栄を張って倒れたりしたら大変ですから」 「ご心配なく。うちは庶民ですから、そんな贅沢はできませんけどね」 「成り上がりの方は派手好きで大変ですわね」 その言葉に、おばあちゃんは何も言い返さなかった。ただ静かに笑っていただけだった。 その頃、私は夫のけ太と話していた。 「ねえ、ちょっとけ太に聞きたいんだけど」 「何、母さん?」 「本当に結婚式はハワイまで行く必要あるの?」 「え、それはまあ国内でもできるけど、弓が楽しみにしてるし、もう入籍したんだから式なんてただのパフォーマンスだろ」 「それなのにハワイだなんて。母さんもハワイがいいって言ってたじゃん」 「場所じゃなくて、あのババーの金で贅沢するなんて恥ずかしくないの?私、あの人嫌いなのよ。金持ちって性格悪いし、見下されてるみたいで。しかも自分のことをババーとか言うのよ。きっとひん曲がった性格してるわ」 「それはまあ、癖は強いよね。確かに、なんか山ん場みたいだしさ」 「そうよ。きっと影で私たちのことを貧乏人だって言って笑ってるに違いないわ」 「でももう決まっちゃったし、さすがに今からは変えられないよ」 「ちょっとそこをなんとかするのがあなたの仕事でしょ」 「無茶言わないでくれよ」 私はその話を聞いて、おばあちゃんに相談した。 「おばあちゃん、あのさ、ちょっと愚痴というか相談なんだけど」 「なんだ?」 「お母さんと仲良くやっていけるか不安なんだ。なんていうか、ほら、やっぱり母親だし、自分の子供が大切なのはみんなそうじゃん。私はよそ者だから」 「そうね。嫁姑問題はあるでしょうけど。まあ、悪い人じゃないんじゃない?」 「そうかな。怖いんだけど」 「大丈夫よ。何かあったらババーに言いなさい。年上だから、まあ話は聞いてくれるわ」 「うん。ありがとう」 次の日、け太が言った。 「ねえ、け太。やっぱりハワイの式はやめなさい」 「え?今更無理だよ。何言ってんの?」 「大丈夫よ。急に仕事が入ったって言えばいいわ。どうせもう入籍してるんだから。式なんて必要ないもの」 「でも弓は絶対反対するって」 「そういうのは面倒くさいし。弓はあんたの嫁なんだから従うべきよ。それにあのババーに恥をかかせてやりましょう」 「なんでそんなに対抗心燃やしてるんだよ」 「あなたね、世の中お金なのよ。式のお金をあのババーが全部出してるなんて、今後私たちにでかい顔をするために決まってる。本当に嫁姑問題ってあるけど、それよりも目上の人がいたらみんな逆らえないのよ。あなた、いいの?ババーにいい顔してて。何でもかんでもババーの顔色を伺わないといけないのよ」 「それは嫌だな。あのおばあさん、気難しそうだし」 「でしょ。でもさすがに式をやめるのはやばくないか?」 「大丈夫。子供ができれば完璧よ」 「子供?」 「そうよ。だから早く孫を作りなさい。そうすれば離婚なんて絶対できないから」 「母さん、離婚って、念のためだよ」 「あのババーが何か言ってきても、子供がいれば強いわ。だってあなたは父親なんだから。発言権は一番上よ。なんせ親なんだから」 … Read more

14 September 2026

昼休みに妻の顔を見て、ふと思ったんだ。「もう離婚しないか」って。十八年、寝たきりの両親の介護をしてきた妻に、私はそう切り出した。母から軽井沢の別荘を譲るという電話をもらった直後のことだった。「介護ご苦労さん。もうお前は不要なんだよ」。妻は唇を震わせて、「約束は?…

健二は昼休みの電話で、母から聞いた話を妻のかよ子に切り出した。軽井沢の別荘を両親が譲ってくれるという。十八年間続けてきた介護への感謝の気持ちだと言う。 「お母さんたち、本当に優しいよね」 かよ子が微笑むと、健二は妙に冷静な口調で言った。 「それさ、聞いた時に思ったんだ。俺たち、もう離婚しないか」 かよ子の手が止まった。「冗談でしょ」 「十八年間の介護はお疲れ様。感謝もしてる。けど、それができたのは俺が働いて生活費を稼いでたからだろ」 「私だって介護しながらパートもしてたわよ」 「小遣い稼ぎにしかなってないだろう」 かよ子は唇を震わせた。「そんな言い方、ひどすぎない?」 「こっちは仕事して金を稼いでお前を支えてきた。もういいんじゃないか。この機会に俺も自由になってもいいだろう」 「お母さんたちの介護はどうする気?」 「母さんが言ってたろ。今後はヘルパーを頼るって。俺がすることは、たまに顔を出して様子を見るだけだ。そんなのは俺一人でもできる。お前はもう不要なんだよ」 かよ子は声を詰まらせながら言った。「約束は? ずっとしてきた約束はどうなるの?」 「約束?」 「介護が終わって健二が定年退職したら、二人でゆっくり過ごそうって言ってくれてたじゃない」 「ああ、そんなことも言ったな」 「お母さんたちだって、そのために別荘をくれるんでしょ?」 「俺は考えてるって言っただけだ。検討してただけで、必ずそうすると言った覚えはない」 「検討に検討を重ねて、結論を急いだだけなの? どこの政治家よ」 「かよ子さ、お前、自分の顔を見て同じことが言えるか?」 「え?」 「今のお前は介護とパートの疲れでボロボロだ。はっきり言って、一緒に歩くのも辛いんだよ」 「それは時間がなくて……」 「一方、俺は今もビジネスマンとして最前線で働いてる。見た目にも気を使ったイケおじってやつだ」 「自分で言うの、それ」 「お前の見た目も、腰が痛いとか言うババアっぽい言動も、全てが限界だ。無理。嫁として見れない」 健二はため息をついて、最後に言い放った。 「そういうことだから、離婚して出ていけ。十八年間、介護ご苦労さん。うちを出ていっても元気でな」 翌日、健二が昼休憩に入ると、母から電話がかかってきた。 「健二、これは一体どういうこと?」 「なんだよ、母さん。せっかくの昼休憩だってのに」 「さっきかよ子さんから聞きました。離婚するんだって。どうして昨日のうちに言わなかったの?」 「かよ子も整理する時間が必要だろうと思ってな。気を利かせたんだよ」 「そういうことだから、じゃないわよ。あんた、正気なの?」 「しっかりと考えて決めたことだ。これは俺たち夫婦の問題だぞ。母さんが口を挟むことじゃないだろう」 「こんな追い出すような形で離婚なんて、あんまりよ。今までどれだけかよ子さんに苦労をかけてきたか、あんた本当に分かってるの?」 「苦労をかけてきたのは母さんたちだろう。俺じゃない」 「よくそんな白々しいことが言えるわね。親の介護を十八年もかよ子さんに押し付けておいて」 「だからそれは母さんたちのせいだろう。介護が必要になったのは俺のせいじゃないんだから」 「あんたね、私が言えた義理じゃないけど、介護は本来子供のすることでしょう。かよ子さんはあんたの嫁だったんだ。嫁が代わりにやって何の問題がある?」 「その代わりにやってきてくれた嫁に対して、この仕打ちはあんまりだって言ってるの」 「母さん、興奮しすぎだ。体に響くぞ」 「誰のせいだと思ってんのよ。恩をあだで返すような真似、私は許しませんからね」 「ベッドで寝たきりの母さんに何ができるって言うんだ。これは母さんが心配するようなことじゃない」 「今後の介護だってヘルパーを頼るんだろう。かよ子さんの負担を減らしたくてそう決めたのよ」 「つまり、かよ子がいなくても問題ないってことだろ。そういうことだ」 「そういう問題じゃないでしょ」 「そういう問題だよ。てか、そんなことよりもさ、軽井沢の別荘の件、昨日言ってたのは本当だよな。生前贈与で譲ってくれるんだろ。名義はもちろん俺だよな。親父も母さんもそう言ってたよな」 「確かに言ったわね」 「あの時の言葉に嘘はないよな」 「ないわよ」 「ならいいんだよ。母さんたちが約束を守ってくれるなら、俺も努力する。かよ子がいなくても不自由はさせないさ」 「健二、あんたは……」 … Read more

14 September 2026

診察室を飛び出した瞬間、医者の言葉が頭から離れなかった。「ご主人の余命は、あと三ヶ月です」。あまりに突然で、私はその場にいられなくなった。でも夫は驚くほど落ち着いていて、緩和ケアを選ぶと言い切った。私は必死に説得したが、彼の決意は固かった。五時間後、息子の安明が「父さんがこんなことに」と涙をこぼした。私も同じ気持ちだった。ところが夜、夫から電話が鳴る。「実は、俺にはずっと愛人がいたんだ」。そ…

「裕子、今すぐ診察室に戻ってきなさい。これからのことを話し合わなければならないだろう」 裕子は診察室を飛び出していた。医者から夫の工事に残された時間が三ヶ月だと告げられた瞬間、どうしてもその場にいられなかったのだ。 「ごめんなさい……でも、そこまで裕子が取り乱すとはな」 「あなた、どうしてそんなに落ち着いていられるの? あなたが三ヶ月だって言われたのよ」 工事は静かに、しかし確かな覚悟を込めて言った。 「どこかで覚悟していたところがあるんだ。ずっと命を削って会社を大きくしてきた。おかげでたくさんの社員を抱える大きな会社に育った。でも、こんな生き方をしていたら長くはないだろうなと思っていたんだ。ずっとけだるさが取れなかった時、いよいよお迎えが来たかと思った」 「でも私も安明も、あなたともっと一緒にいたかったわ」 「そう思ってくれるのはとても嬉しいよ。俺は素敵な家族に恵まれたと思っている」 「やめてよ。まだ諦めちゃだめよ。胃癌で末期なんでしょ」 「悪あがきはしたくない。医者からは延命治療か緩和ケアか、どちらかを選べと言われている。俺は緩和ケアを選ぼうと思う。これから数ヶ月、寿命が伸びたところで意味はない。残された時間をゆったりと、大切な人と共に過ごしたい」 「どうしてそんなに諦めてるのよ」 「お前の気持ちは分かるよ。立場が逆だったら、俺も同じように感じたはずだ。でも、これは自分のことだ。自分でけじめをつけるつもりだ。これから先は、残された人たちのために時間を使いたい。お前には苦労をかけるかもしれないが」 「そんなこと言わないでよ。私はずっとあなたの妻なんだから。苦労なんてあるはずがないわ」 「ありがとう。それじゃあ、会社のことやこれからのことを話し合う必要があるな」 「今から安明を病院に呼ぶわね」 「いや、あいつは仕事が忙しいだろう。こんなことでわざわざ呼ぶ必要はないよ」 「こんなことじゃないわよ」 「LINEでいい。できれば俺も、あいつの辛そうな顔を見たくないからな。それに俺から直接伝えるよ」 「いいの?」 「安心しろ。男同士でゆっくり話をするさ」 「わかった。それじゃあ早く診察室に戻ってきなさい。これからのことをちゃんと話し合いましょう」 五時間後。裕子は階下から声をかけた。 「安明、ご飯ができてるわよ。早く下で一緒に食べましょう。お父さんは?」 「それが、用があるって言って出ちゃったんだよ。心配だから一緒に行くって言ったんだけど、まだまだ元気だから心配するなって」 「そう……」 「母さん、俺、辛いよ。どうして父さんがこんなことになるんだ?」 「安明……それは私も同じ気持ちよ。神様って本当に残酷なことをするわね」 「俺は父さんに親孝行の一つもしてあげられなかった。孫の顔も見せられなくて」 「あなたはお父さんの後継ぎになれるように仕事を頑張っていたからね。結婚どころじゃなかったのは、お父さんだって分かっているわ。あなたを責めるような人じゃないって、分かってるでしょ」 「会社としては、次の社長を決めることになるよな」 「そうね。お父さんはあなたを後継にすると思うわ。昔から息子に継がせたいって話していたから」 「俺なんかに、父さんの後釜が勤まると思う?」 「あなたなら大丈夫よ。だって、そのために勉強も仕事も頑張ってきたんだから。あなたなら絶対になれるって、私は確信してるわ」 「そうか……」 「分かったら、早く降りてきなさい。お父さんにも私から連絡して、帰ってくるように言うから。家の中ではあまり暗い顔をしないようにしましょう。できるだけ明るく送ってあげるのがいいと思うから」 「そうだな。分かったよ」 三十分後、工事は会社から裕子に電話をかけていた。 「あなた、気分が悪いとかない?」 「いや、大丈夫だよ。何かあったのか?」 「いや、もう晩御飯の時間だから、早くお家に帰ってきてよ。今日はあなたの好きなビーフシチューにしたから」 「悪いが、今日はちょっと帰らないでおくよ」 「え、何かあったの?」 「本当は大事なことだけ伝えて帰るはずだったんだけど……俺が余命三ヶ月だと伝えたら、泣かれちゃってな」 「もしかして、お友達か何か?」 「実は……俺にはずっと愛人がいたんだ」 「え?」 「ずっと隠し通すつもりだったが、そういうわけにもいかなくなった。だから正直に話すから、落ち着いて聞いてほしい」 「どういうことなのよ」 「ナツキという人と、ずっと愛人関係だったんだ。ナツキは俺が既婚者だと知った状態で関係を迫ってきた。それで俺は受け入れて、ここまで続いていた」 「ちょっと待って……混乱してて、分からないわ」 「頼むから、今は話を聞いてくれ。実は俺とナツキの間には子供がいるんだ。直と言って、今年で二十六歳になる」 「二十六の子供なの?」 「そうなんだ。大切な俺の息子だ。直とはうちの子会社に入社させて、実務経験を積ませてある。その直を社長に据えることにするよ。本当はもっと時間をかけて実績を積ませて、誰にも文句を言わせない状態で引き継ぎたかったが、こうなっては仕方がない。多少は強引な方法を使わないとな」 「信じられない……そんなに長い間、私たちのことを裏切ってたの?」 … Read more

14 September 2026

昨日の朝、スマホに一通のメッセージが届いた。送り主は、今日結婚式を挙げるはずの婚約者・健太。「悪いけど、やっぱり離婚してくれ」——一瞬、頭が真っ白になった。ドレスも決めて、招待状も出して、式場にはもうゲストが集まり始めている。なのに、よりによってこの日に。「冗談でしょ?」と電話をかけ直すと、彼はけだるげに「結婚ってめんどくせえだろ。早い方がいいと思って」と。「式まであと3時間しかないのに、ど…

結婚式当日の朝、目を覚ますとスマホに一通のメッセージが届いていた。送り主は、今日結婚式を挙げるはずの婚約者・健太からだった。 「悪いけど、やっぱり離婚してくれ。」 一瞬、何を言われているのか分からなかった。ドレスも決めて、招待状も出して、式場にはもうゲストが集まり始めている。そんな日に、よりによって。 「え、ちょっと待って。何言ってるの?今日だよ?」 電話をかけ直すと、健太はけだるげな声で答えた。 「いやさ、なんか考えたんだけど。結婚ってめんどくせえだろ。早い方がいいと思って。」 「冗談でしょ。招待客ももう来てくれてるのよ。」 「マジだって。本気で言ってる。」 「式まであと3時間しかないのに、どうして今なの?」 「だから、今のうちに片付けたいんだって。」 片付ける。それが私たちの結婚の話だとは、到底信じられなかった。今日離婚届を出せば、いちばん早く終わる。そう言い放つ健太の声には、迷いが一切なかった。 私は必死に理由を求めた。どうして急にそんなことを言うのか、何かあったのか、どこが合わないと思ったのか。だが、健太の答えはどれも要領を得なかった。 「このまま結婚生活を続けても、お互い不幸になるだけだと思うんだよ。」 「今まで何も言わなかったのに、急にそんなこと言われても分かんないよ。」 「気づいてなかったのは、お前が鈍感だからだろう。」 「じゃあ、どうして式の準備をしている時に言わなかったの?半年かけて準備してきたのに、もうすでにたくさんのものを失ってるのよ。」 「まあ、そういう細かいことはいいじゃん。」 細かいこと。結婚を白紙に戻すことを、細かいことと呼んだのだ。私は怒りと悲しみで頭が真っ白になった。それでも健太は、離婚届はもう書いてあるから、お前も書いてくれと畳みかける。私がごねずに、早く現実を見ろと。 式場はどうするのか、キャンセル費用はどうなるのか、お祝いをくれた人たちには何と連絡するのか。私がそう尋ねると、健太は「それは適当にやればいいじゃん。なんとかなるって」と答えた。 つまり、式場に残されている私に全部を押し付けて、自分は何もせず逃げるつもりなのだ。私はもう、何も言い返す気力がなかった。かける言葉を失って、たった一言だけ返した。 「分かった。いいけど。」 「本当に後悔しない?」 「全然。むしろすっきり。」 その瞬間、私は決めた。この男とは、これで終わりだ、と。 私はすぐに親友のちひろに連絡をした。彼女は今日の式のために、すでに式場に来ていると言っていた。 「ちひろ、どうしよう。健太が急に離婚したいって。」 「え?離婚?どういうこと?結婚式、今日でしょ?」 「式当日の朝に、いきなり離婚届を書いてくれって。もう離婚届は書いてあるからって。」 「は?何それ?ひどすぎる。ありえないんですけど。ゲストも来てくれてるのに、何て言えばいいの?」 「ひなは悪くないよ。私は味方だから。」 その言葉に、私は救われた思いがした。理由を聞かれて、健太が「合わないから、早く決断した方がいい」と言ったこと、今まで何も言ってなかったこと、私は至らなかったのかもしれないとこぼした。ちひろは「ひなは悪くない。健太さんがおかしいだけだよ」と強く言ってくれた。 「もしかして、他に好きな人ができたのかな。」ちひろがぽつりと言った。「推測だけど、他に本命の女性ができて、その人と結婚したいとか。」 そんなはずはないと思いたかった。でも、式当日に突然離婚を切り出す行動を説明できる理由が、他に思い当たらなかった。 私はもう一度だけ、健太と話をすると決めた。まだ好きだったから。諦めたくなかったから。ちひろは「頑張ってね」と送り出してくれた。 30分後、私は健太と直接話した。最後の話し合い。 「もう一度だけ聞くけど、本当に離婚でいいの?」 「しつこいなあ。もう決めたって。」 「私は、あなたと一緒にいても幸せじゃないなんて思ったことなかったけど。」 「まあいいじゃん。離婚届、書いてよ。早くしないと面倒なことになるし。」 面倒なこと。健太は、自分の両親が離婚の時に財産分与で揉めた話をし始めた。結婚生活が長引けば、共有財産が曖昧になって泥沼になる。だから早く別れた方が傷が浅いのだと。 「それなら、なんでそもそも結婚なんて考えたのよ。」 「お前とはいい感じになれるかと思ったんだけど、なんかダメだなって。」 具体的な理由を言わずに、ただ「ダメだな」と感じたから離婚したいのだと言う健太。それは、わがままとしか思えなかった。だが、「これはお前のためでもあるんだよ。俺は優しいだろう」とまで言い出した時、私は完全に愛想が尽きた。 「意味分かんない。でも、分かった。あなたの気持ちが変わらないなら、私もこんな人とは一緒にいたくない。離婚届に書くよ。」 「お、やっと分かってくれたか。さすが話が早い。」 私はそれ以上、何も言わなかった。 同じ頃、ちひろから「大丈夫?話し合いはどうだった?」と連絡が来た。私は式場の控え室で、彼女にすべてを話した。結局離婚することになったこと、健太が「離婚は私のため」と言い出したこと。ちひろは「本当に信じられない」と怒ってくれた。 「ねえ、ちひろ。確か式場に来てるよね。ごめん、話聞いてくれないかな?」 「大丈夫。すぐ行くね。控え室に行ったらいい?」 「ごめんね。無理しないでね。あなたも大事な時期なのに。」 ちひろはお腹に赤ちゃんがいる。シングルマザーになることを彼女から聞かされていた私は、気を使わせてしまって申し訳なかった。だが、ちひろは「いいってことよ。私も参考にさせてもらうし」と笑った。 「参考?」 「もしかしたら、今彼とは結婚できるかもしれないからさ。もし浮気されたら、どう動くかの予習みたいなものよ。だから気にしないで。」 ちひろはそう言って、すぐに控え室へ向かうと言ってくれた。 その30分後。ちひろは、健太と会っていた。式場の裏手、人目のつかない場所で。 … Read more

14 September 2026

「ゆみ子、上から命令が来たわよ。お前をまた別の部署に移動させるって」——昼休みの給湯室で、夫のかけるが書類を片手にそう言った。総務部に来て三年、またか、と思った。その夜、家で彼は私の顔も見ずに言い放った。「もし俺が社長になったら、お前を会社には置いておけないぞ。こすい入社の人間なんて、我が社には必要ないんだから」。父親が一代で築いた会社で、私は必死に働いてきた。なのに夫は、私の仕事ぶりを見た…

「ゆみ子、上から命令が来たわよ。お前をまた別の部署に移動させるって」 「あら、そうなの。総務部に来てもう三年になるのね。時が経つのは本当に早いわ」 「で、危機感はないのか?」 「危機感って、どういう意味?」 「お前ぐらいのキャリアの人間が、こんなにコロコロと部署を変わるのは異常なんだよ。どこに行っても結果を残せていない証拠じゃないか」 「そんなことないわよ。私なりに頑張って結果は出してるはずよ。実際、会社の売上はずっと右肩上がりじゃない」 「それはお父さんの主導によるものだよ」 「まあ、それはそうかもしれないけどね」 「お父さんは一台の機械からこの会社をここまで大きくした、本当にすごい人だ。俺は心から尊敬してる。でもお父さんももう六十八歳で、定年が近づいてきてるんだ。うちの取締役は七十歳で定年って規則で決まってるからな」 「だからこそ、俺たちがしっかりして、お父さんが安心して会社を任せられるようにするべきだと思うんだ」 「私も同じ気持ちよ。お父さんにはゆっくり老後を過ごしてほしいわ」 「そう思うなら、もっと仕事を頑張ってくれよ」 「頑張ってるって言ってるでしょ」 「もっと目に見える成果を出してほしいんだよ」 「それは確かに出してないかもしれないけど、私は別のところで頑張ってるのよ」 「そんなのはいい訳だよ。お前は社長の娘っていう立場だから役職につけてるんだ。普通なら、お前が出してる結果で役職なんて無理なんだぞ」 「随分とひどい言い方ね。私の仕事ぶりをちゃんと見たこともないくせに」 「俺は人事部として社員の評価をしてるんだ。その上で、ゆみ子は活躍してないと言ってるんだよ」 「別にあなたに文句を言われる筋合いはないわ」 「もし俺が社長になったら、お前を会社には置いておけないぞ。こすい入社の人間なんて、我が社には必要ないんだから」 「私がこすい入社だって言いたいの?」 「この結果を見たら、そう思わざるを得ないよ」 「自分の妻に対して、ずいぶん嫌な言い方をするのね」 「俺は『家族だから』みたいな甘い考えは大嫌いなんだ」 「あら、そうだったら、あなたもちゃんと頑張らないとね」 「俺は人事部長としてしっかり仕事をしてる。これから中途採用で入ってくる社員たちの選考もやらないといけないんだ。今の会社に必要な人材を見つける、大事な仕事をしてるんだぞ」 「そう。それじゃあ頑張ってね。私は新しい部署に移動するための引き継ぎをやらないと。最後に一つだけ言わせて。お願いだから、お父さんの顔に泥を塗るようなことだけはしないでよ」 一週間後。 「お父さん、大丈夫? お母さんから連絡があって、風邪っぽいって聞いたわ」 「おお、そうなのか。お前に心配かけたくないから、黙っててほしかったんだけどな」 「何言ってるのよ。娘なんだから心配する権利はあるわよ」 「ちょっとだるいだけだよ。熱も三十七度くらいだからな」 「仕事は他の人に任せておけばいいからね」 「そうさせてもらってるよ。ありがたいことに、優秀な人間が周りにいてくれるからな」 「みんなお父さんのために働きたいって思ってる人たちの集まりだからね」 「まさか自分がこんな立場になるとはな。ただがむしゃらに仕事をしてきただけなんだが」 「お父さんはとっても優秀な人だと思うわよ。ただ頑張ってるだけじゃなくて、冷静に現状を見て、将来のために行動できる人。私はそんなお父さんを手本にして仕事してるの」 「そうか。頑張ってくれよ。お前には期待してるからな。俺もなんとか定年までは頑張ろうと思ってるよ」 「私もできるだけ支えるからね」 「俺がいなくなってからは、かけると二人で力を合わせてやっていくんだぞ」 「そうね。そうしたいんだけどね」 「なんだ、喧嘩でもしたのか」 「ちょっと仕事のやり方で揉めちゃってね」 「何を揉めることがあるんだ?」 「私がコロコロと部署を変わるのが気に食わないみたいなの。結果を残してないからだって決めつけられちゃって」 「それは大きな勘違いだよ。私がそうするように言ってるんだからな」 「まあ、でもいつか分かってくれると思ってるわ」 「それならいいんだが。もし二人の関係が悪くなるようなら、あのことを伝えてしまっても構わないからな」 「いや、ちゃんと手順を踏んで報告するから」 「そうか」 「お父さんはそんなことを気にしなくていいのよ。それよりも自分の将来のことを考えて。社長を退任してから何をするか、プランはあるの?」 「そうだな。母さんと海外旅行でも行こうかとは話してるんだ。新婚旅行でハワイに行ったきり、一度も行ってないからな。しかもその時はお金もなかったから、満足に楽しめなかったと思うし」 「素敵ね。今からどんなところに行くか、話し合っておかないとね」 「うん。そうしないとな。でもまずは健康に気をつけて、残りの任期を全うできるように頑張るよ」 … Read more

14 September 2026

年末の親戚の集まりで、私の席だけお寿司がありませんでした。席には私の名前の札まで置いてあるのに、私の前には空っぽのお皿だけ。「勝手に押しかけてきた嫁の分はないわ。他人だもの」お母さんは涼しい顔でそう言いました。他人。その言葉が頭の中で何度も反響して、心臓がぎゅっと締め付けられるようでした。隣の席に座っていた夫の健太は、何も言わずに親戚とお酒を飲んで笑っていました。私は立ち上がり、その場を去り…

お母さん、どうして私のお寿司だけないんですか? 席には私の名前の札まで置いてあるのに、何もないところに座らせるなんて。 年末だし、みんなで高級なお寿司を楽しもうって話だった。でも私の前には空っぽのお皿しかない。親戚たちは美味しそうに寿司を頬張り、お酒を酌み交わしている。 「勝手に押しかけてきた嫁の分はないわ。他人だもの」 お母さんが涼しい顔で言った。他人。その言葉が頭の中で反響する。 「他人ですか? 私は嫁ですよ」 「嫁は他人でしょ。血が繋がってないんだから」 「でも、結婚して家族になったはずでは……」 「結婚したからって家族になるわけ? あんたは最初から他人よ。この家に来ただけの他人。そういうこと」 一瞬、何かを言い返そうとした。でも、もういい。ここで何を言っても無駄だ。 「分かりました。じゃあ今日から完全に他人でいきます。お母さんもそれを希望しているようですし」 「あら、それでいいわよ。むしろ清々するわね。嫁なんて最初から他人なんだから」 「了解しました。他人ということは、お正月のお手伝いも不要ですよね」 「え? じゃ、それは来なさいよ」 「でも他人ですよね。他人にお手伝いを頼むんですか?」 「ふざけないで」 「時給を払ってもらえますか? 他人なので」 「ふざけないでって言ってるの」 「他人を希望したのはお母さんです。じゃあ、お先に失礼しますね。他人の私が長居しても悪いですから」 私は立ち上がり、振り返らずにその場を去った。後ろからお母さんの怒鳴り声が聞こえたけど、もうどうでもよかった。 帰宅すると、夫の健太が後から帰ってきた。 「ちょっと待てよ。まだ集まってる最中だろ。何があったんだよ」 「お母さんに聞いて。面白い話が聞けると思うよ」 「寿司の件かよ」 「あら、知ってたの? それもそうよね。だってあなたは私の隣の席だったもの。私のところにだけお寿司がないのに、何も言わずに親戚と酒を飲んでふざけてたわけ?」 「いや……あまりにも雰囲気が悪いし、俺も話とかしないとな」 「それで、何も用意されてない嫁を放ったらかしにしたってわけ? ふざけんじゃないわよ」 「とにかく、お前も変な意地を張るなよ。母さんに謝れば済む話だし、大人になれって」 「謝る? 何を? お寿司を用意されなかったのは私だけなのに」 「お前も音を上げなかっただろう」 「私がお寿司がなかったのに。あなたの立場を考えてくれって? あなたの立場ね。じゃあ私の立場は、寿司なしで座ってろってこと? みんなが楽しくお酒とお寿司を食べてる中、私は空気を食べろって?」 「いや、そういうわけじゃ……」 「じゃあどういうわけ? 説明してよ」 黙り込む健太。分かってる。説明できるわけがないんだ。 「できないんでしょ。だから帰るの。居場所もないのにあんな場所にいたくない」 「マジで帰るのかよ。困るんだけど」 「私は別に困らないし」 「ちょ、待って。嫁は他人って言ったのは母さんだから。攻める相手が違うんじゃない?」 その言葉に、私はもう何も言いたくなくなった。 一時間後。私は幼い頃から世話になっている、実家の執事・り子さんに電話していた。 「り子さん、聞いてよ。今日、親戚の集まりがあったんだけど、お母さんに寿司を用意されなくて、嫁は他人って言われたの。本当に頭に来た。夫も見てみぬふりだし」 「まあ、それはひどいですね。大勢の場でそのようなことを言われるなんて」 「でも言い返してやったわ。ちょっとむかついたから。他人ならお手伝いしません、時給くださいって」 「それは素晴らしいですね。向こうから仕掛けてきたのですから、多少の言い返しはお相子でしょう。お母さんは顔を真っ赤にしてましたよ」 … Read more

14 September 2026